中国のお茶の値段はどんどん上がっていっていますが、特に顕著なのが緑茶。
特に明前のお茶の値上がりは異常ともいえる事態になっています。
これについては、現地でもどうなのか?という疑問が出ているようです。
好茶不分明前茶、雨前茶?
http://news.t0001.com/2011/0223/article_120512.html
最近、人々が茶葉を買う時には一種の偏った好みがあるようで、それはお茶を買う時には、いちばん早く、いちばん新芽のものを買うのが良くて、甚だしい場合は芽だけのお茶を買うという風潮です。しかし、実際のところ、お茶の品質の優劣は、芽が若ければ若い程良いというものではなくて、お茶の内質という点では、芽だけのお茶は一芯二葉のお茶にかないません。長い歴史のある龍井茶を例にとれば、特級のお茶は芽だけで作るのではなく、一芯二葉で作るものです。
社会にある”明前茶”に対しての崇拝は、実用的な価値では無く抽象的概念、飲用価値よりは審美的な意義に基づくものであり、飲み手の虚栄心を満たすのに重要なだけです。それで明前茶の数量は少なく、珍しいため、これを飲むことが身分や品位の象徴であると思っているのです。
しかし実際は「雨前茶」は「明前茶」ほどの繊細さはないけれど、気温もやや高く、芽の成長が比較的早いため、お茶の内質物はより豊富なので、「雨前茶」は往々にして味に旨味があり濃く、煎も利きます。この時期に摘まれた茶は、早くも遅くもなく、まさに適正で、その時宜に合っているので、良いお茶になるのです。
また、茶樹は気候や品種の影響と栽培管理条件の影響を受けるので、毎年の茶摘み時期は一定ではありません。一般的に言うと、南から北に向かって徐々に進んで行き、南北で茶摘みの始まる時期には3~4ヶ月の差があります。さらに、同じ茶区でも、極端な場合は同じ茶園の中でも、海抜や水、肥料の管理の差で5~20日の差があります。そのため、お茶を買う際には茶摘みの時期だけで茶葉が良いかどうかを判断することは出来ないのです。気温の高い茶園は清明節の前には2,3回摘むことが出来ますし、海抜が高かったり、茶園が北の地域にあると、清明節を過ぎても一度も摘んだことがないということもあります。そのため、単純に茶摘みの時期が前か後かで茶葉を判断するというのは、何と馬鹿げたことでしょうか。
「明前茶」は早く、柔らかで見た目が良く、「雨前茶」は飲んで美味しく、味があります。求めるものが違うのです。
あまりよく分からないものに触れる時、何らかの”記号”的なものを頼りに商品を選ぶことが良くあります。
「明前」というのは、その1つのキーワードのようなもの。
こういうキーワードばかりが先行すると、業界全体がおかしくなるということがよくあるので、それをサポートする専門家だったり、販売店の役割が重要になるのですが、なかなか現地でもそうは上手くは進んでいないようですね:-?