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「工夫茶」と「功夫茶」の違いとは?

中国茶に触れていると、「工夫茶」あるいは「功夫茶」という表記を見かけます。
この言葉には違いがあるのでしょうか?
これについて解説している記事がありましたので、ご紹介します。

 

”工夫茶”と”功夫茶”は同じものなのでしょうか?
多くの人がこのような疑問を持っていると思います。今日は原点に立ち戻って、”工夫茶”と”功夫茶”を解説してみます。
ある人は、工夫茶も功夫茶もよいお茶を指す、と考えます。ある人は、工夫茶も功夫茶もお茶の淹れ方・飲み方の技巧を指すと考えます。ある人は工夫は茶を指し、功夫は淹れ方の技巧を指す、などと考えます。
それでは、両者には一体どのような区別があるのでしょうか?
大まかに言うと、工夫茶とは品質が良い茶葉の種類を指し、功夫茶は私たちが福建や広東一帯でよく見かけるお茶の飲み方の技術を指します。

 1.”工夫茶”は茶葉を指す

”工夫”という言葉は元々の意味は”仕事を行う人”であり、さらに多義語であって、あるときは時間を指します。たとえば、東晋の時代の葛洪は『抱朴子』の遐覧編で、”芸文不貴、徒消工夫”のように書いており、これは時間の意味があります。
またあるときは、腕前の意味で、宋代の陸游の『夜吟』に”六十余年妄学詩、工夫深処独心知”とあるように、これは造詣や腕前のことを指しています。

清代になると、福建や広東、武夷などの文献で”工夫茶”が出現し始め、これはある種の茶葉を指しています。
清代の雍正帝時代の福建崇安県令だった劉埥は『片刻餘閑集』の中で、”武夷茶は2種類に分かれる:…岩茶の中でもっとも古いものが老叢小種と呼ばれ、次は小種、次は小種工夫、次は工夫、次は工夫花茶、次は花香…”と書いており、当時の”工夫”は茶の名称を示していて、そしてそれはやや珍しく貴重なお茶を指しているということを説明しています。

清代の僧侶である釋超全は、『武夷茶歌』の中で、”如梅斯馥蘭斯香、大抵焙得候香気。鼎中籠上炉火温、心閑手敏工夫細”と述べており、この意味は彼が見た武夷の良いお茶は、”工夫細”によって製造ができるもので、これは”工夫”が労力や時間の意味であることを指していて、これ以後、徐々に意味が拡張され、工夫を費やすことが良いお茶を作ることになっていきました。

呉覚農氏が主編した『中国地方誌茶葉資料選輯』には、武夷岩茶と紅茶はいずれも工夫茶の種類であると記載されています。
民国以後は、岩茶には”工夫”の文字が冠されることはなくなり、”工夫”は全て紅茶を指すようになっています。

陳宗懋氏が主編の『中国茶経-紅茶編』では、紅茶は正山小種、小種紅茶、紅砕茶の三大種類に分けられ、さらに地域によって:閩紅工夫、祁門工夫、休寧工夫、川紅工夫、滇紅工夫などのように分けられました。

今日、一部の福建紅茶は”工夫”という言葉を依然として使用していますが、この”工夫茶”はごく一部の優良な紅茶を指し、その製造過程において多くの時間と労力を費やすものとして理解することも出来ます。大いに”工夫”を行うので、それゆえに”工夫茶”と呼ばれるのです。

 2.”功夫茶”は茶の淹れ方の方法を指す

”功夫茶”は、あるお茶の淹れ方の方法を指します。
清代の俞蛟が著した『潮嘉風月記』の冒頭には、”功夫茶、烹治之法”と書かれており、主にお茶を飲む際の炉、壺、杯などについて描かれていて、後半は淹れ方の技巧について書かれています。
これは”功夫”の二文字は淹れ方の技術を指すということを示していて、茶葉を指しているのではありません。

現代の茶聖である呉覚農氏は、潮州の方言においては、”工”の音は”剛”、”功”の音は”攻”。閩南語の中での”工”、”功”の音は潮州と同じです。意味もまた違っていて、”工”は労力、時間であり、”功”は武功、本領、火功です。と指摘しています。
このことは、茶葉の範疇でも”工夫”と”功夫”には2つの意味があることを示しています。
今流行している、福建式、広東式、台湾式の功夫茶もまた完全に淹れ方の技法を指しています。

”功夫茶”の中の功夫は、時間の意味を示しています。
功夫茶を入れるのは、そもそも工程が煩雑ですので、消費する時間は自ずと長くなりがちです。
”功夫茶”の淹れ方や飲み方は非常に細かなところまでこだわりがあり、そこから”茶芸”の淹れ方が生まれています。現在、多くの”茶芸クラス”で学んでいるのは”功夫茶”という一連のセットです。

閩式功夫茶芸の創始者である呉雅真老師

 

しかし、時代の進歩に伴い、”工夫茶”と”功夫茶”のこの2つの用語の意味は徐々に重なり、曖昧になってきています。
お茶を飲むことに関してだけでなく、日常生活の中でも”功夫”と”工夫”は使われ方が特に混乱しているものの一つです。現代の国語辞典の解説でも、”工夫”は主に何かを為すときに時間を消耗することとされていますが、”功夫”はその中味がより、技術や技巧の面に偏ったものとされています。
しかし、この2つの用語は、辞典の中であってもやや混同されている状況が明確に書かれています。
このため、ある人がこの2つの用語を無差別に使っていたのを見たとしても、あまり理論的に真面目に追求する必要は無いでしょう。
もし、私のこの見方に対してに意見や違いがあるようであれば、ぜひ私たちにメッセージをお送り下さい。みなで一緒に検討し、共に高め合いましょう!

 

日本でも混同されていることの多い用語ですが、古典などを引いて解説しているので、分かりやすい記事かと思います。
文末に、これによって”用語警察”をするのは宜しくなく、相違点は議論しましょう、としているところが、今の中国の茶に関する研究シーンの温度感を象徴しているかと思います。

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