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雲南のお茶と諸葛亮(孔明)の深い関係

お茶の世界には、何名か神様のような存在の人がいます。
日本茶であれば千利休あたりが代表例ですが、中国茶の場合は、やはり神農や陸羽の名前が挙がるでしょう。

しかし、雲南の方では、三国志に登場する諸葛亮が神様のような存在になっているそうです。

その理由を書いた記事がこちら。

云南人的“茶祖”孔明之由来
http://news.t0001.com/2011/0122/article_119310.html

雲南の茶農家にとって、お茶は聖なるものです。毎年、春茶の茶摘みの季節がやってくると、ハニ族、ジノ族、チワン族、ワ族などは、みなお茶をまつる儀式を執り行います。
この祭りは、茶農家の天地に対する感激と、先祖への敬意を表し、また未来への祈りでもあります。
雲南のプーアール茶産区で行われている祭りは、古茶樹や山の神、そして多くのものは”茶祖”である孔明をまつるものです。

しかし、雲南人は何故、神農や陸羽ではなく、”茶祖”として孔明ばかりをまつるのでしょうか?

これは、諸葛亮の南征の話に端を発します。
雲南の攸楽茶山に住むジノ族に伝わる伝説によると、彼らは諸葛亮が南征した際にこの地にやってきたと言われます。諸葛亮は彼らに茶の種を与え、この地に住まわせ、お茶を植えることによって生計を立てさせたといわれます。
ジノ族は、自称”置き忘れられた”民族で、孔明を代々、奉じてきました。

清朝の道光年間に編纂された『普洱府志・古迹』の中には、このような記述があります。
「六茶山の遺器は南にあり、古くからの言い伝えによると武侯(三国時代の蜀相である諸葛亮を指す)が六山を遍歴し、銅鑼は攸楽に残し、銅は莽枝に起き、鉄磚は蛮磚に埋め、木の棒は倚邦に遺し、馬の鐙(あぶみ)は革登に埋め、袋は慢撒に置いた。これらにちなんで、それぞれの山の名前がついた。莽枝、革登にある茶王樹は特に大きく、武候が植えて遺したものと伝えられ、今も現地の人々の祀りの対象になっている」
この文書の中にはまた、大きな茶山の中には孔明山があり、これは諸葛亮の寄箭所であった(孔明山は勐腊県象明郷の西100里のところにある)と述べています。古茶山の中で孔明山は高くそびえて壮観で、諸葛亮の寄箭所であったとされ、上には祭風台の跡があります。

清代の阮福は『普洱茶記』の中で、このように描写しています。
「革登山には茶王樹があり、他の茶樹と比べるとひときわ高く大きくそびえ、武侯が植え遺したものと伝えられている。現地の人がこのお茶を摘む際には、まず酒を備えて、これを祭る」

毎年、農暦7月23日の諸葛亮の誕生日には、各茶山の村では”茶祖会”と称する集会を催します。
2005年3月末、雲南の勐腊県勐仑鎮の中国科学院西双版納熱帯植物園で開催された「孔明興茶1780周年記念中国雲南普洱茶古茶山国際学術研討会」では、人々が茶祖孔明を記念することにより、雲南茶業界の精神を振興して名を上げ、普洱茶古茶山での茶産業、茶文化、茶旅行などを全面的に侵攻していくことなどを現実的なテーマとして取りあげました。

 

若干、翻訳が怪しいですが…
六大茶山と孔明の関係というのは調べると実に面白そうですね:-)

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