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もっとも古い茶葉市場はどこに?『僮約』の記載を検証

四川省で『四川茶文化史』という書籍が刊行され、四川省の茶文化について一般メディアでも話題になっているようです。
中国茶を学んだ方なら一度は聞いたことであろう『僮約』の内容について、記載されていましたので、ご紹介します。

 

一纸《僮约》,“无意”记录最早茶市

四川是中国最早种茶、饮茶、售茶的地区之一,茶文化源远流长,距今已有2000多年的历史。9月11日,由省川茶文化研究会和省社会科学院联合编著的图书《四川茶文化史》在成都出版。据该书披露,世界茶史上首次记载的茶叶交易市场在四川。

本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/a/201609/00005449.html

四川は中国でもっとも古く茶が栽培され、お茶を飲み、茶が販売された地域の1つで、茶文化の歴史は長くて、今から2000年あまりの歴史があります。9月11日、省の川茶文化研究会と省の社会科学院が共同で編纂した書籍『四川茶文化史』が成都で出版されました。この書籍で明かされたことによれば、世界のお茶の歴史で最初に記載された茶の取引市場は四川にあったとのことです。

もっとも古い茶葉市場があるかといえば、まだ考えられてはいなくて、しかし現在世界に記述のある茶の取引市場は、専門家の考証によれば四川だと言います。前漢の著名な文学者の王褒は『僮約』の中で”思いがけず”この記録を行っています。

紀元前59年、王褒は成都に旅行に行き、亡き友人の未亡人である楊恵の家に滞在します。楊恵には1人の召使いがいて、王褒はよく酒を買いに行かせていましたが、とても嫌だと思っていました。さらには王褒と楊恵の曖昧な関係を疑うようになりました。あるとき、主人の墓前で、不満を傾け、このように言いました。「貴方様が私を買ったときは、私はただ家を監視するためだけだったはずで、私に他人の酒を買わせることは無かったはずです」。王褒はこれを知ると、怒り、1万5千銭で楊恵の手からこの奴隷を買い取りました。とても嫌でしたが、どうしようも無くて、そこで彼は契約書を書くときに王褒に条件を出しました。以後はやるべきことははっきり分かりやすく契約に書いてください。そうでないことはしません、と。

このために、王褒は有名な『僮約』を書きました。契約書として、王褒は数多くの仕事と仕事をする時間を書き出し、その中に2つの茶に関するものがありました。”烹茶尽具”と”武陽買茶”です。

『四川茶文化史』の主編者の1人で、省の社会科学院歴史研究所の蘇東来博士は、”烹茶尽具”とはお茶を美味しく淹れることと茶道具を綺麗に準備しておくことで、当時の蜀の土地では喫茶の流行があっただけでは無く、専門のお茶を飲む道具があり、それを洗うことにも一定の方法があったことを説明しています。”武陽買茶”は隣の県の武陽に行ってお茶を買って帰ってくることを言っていて、当時の武陽が蜀の土地の茶の取引市場であり、集散地であったことを示しています。以上の2点の記載は、前漢の時期、蜀の土地では喫茶の流行が盛んで、かつ茶葉市場もとても整備されていたことが分かります。

それでは、武陽とはどこにあるのでしょうか?

『華陽国志』の記述によれば、「什邡県、山出好茶」「南安県、武陽出名茶」とあり、ここから見るに、四川省の茶産地は非常に広く分布しており、その中でも武陽の茶の品質は良く、”名茶”を出していたことが分かります。

『僮約』の原著は伝承が途絶えてしまったため、様々なバージョンが出回っていますが、写本の中に”武都買茶”という説があります。ある学者によれば、王褒が記述した”武都”とは漢代の武都郡のはずであり、すなわち現在の陝西省の略陽県、寧強県の一帯です。しかし、その地域の条件や茶の生産環境から見るに、武都は成都から遙かに離れていて、そこは高山の寒帯にあり、茶の成長には適していません。「王褒は千里先以上の所までお茶を買いに行かせることは考えられないため、このため基本的には武都買茶の可能性は排除することができます」と蘇東来博士は言います。

『華陽国志・蜀志』の記述によれば、「武陽県、郡治。有王喬、彭祖祠。」とあり、彭祖祠は眉山市彭山区江口鎮彭祖山にあることをもとに考えると、武陽は現在の彭山です。『漢書』の記述によれば、武陽県は交通に便利な要衝の地にあって、成都からわずか70kmほどのところにあります。「彭山は岷江のすぐそばにあり、交通がとても便利です。近くの山岳地帯は四川の主要な茶産地です。このため、四川の茶の集散地としての条件を兼ね備えています」と蘇東来博士は言います。

 

”武陽買茶”の一節はご存じの方も多いと思いますが、元々はこのようなストーリーの物語で、場所についてもこのような検証がされ、現在の彭山県という説に定着したそうです。

 

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