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炭焙紅茶で雲南紅茶の新しい道を切り開く

雲南省ではかつて、お茶の乾燥に炭火を使った焙炉を使っていました。
それが機械の導入によって、徐々に切り替わっていったのですが、ここ最近になって、そうした紅茶を復刻する動きが出て来ているようです。

炭焙红茶开启滇红新思路

老新华茶厂是民国传奇茶人李子忠1937年建的,是思普地区第一家规范茶场,请的是浙江制茶师傅,按照精细工艺制作绿茶、红茶以及传统普洱茶,其建厂历史比凤庆茶厂、勐海茶厂还早两到三年。70多年前的新华茶厂名振云南,是民国模范茶厂。云南炭焙红茶就是老新华茶厂留下的遗产。解放后,新华茶场厂址几经迁徙,最终于上世纪70年代搬到县城并更名为墨江茶厂。而民国传奇茶人李子忠,在1951年被误杀。现在,在李子忠的新华茶场原址附近,重新矗立了新的新华茶厂。这个茶厂是景星人李荣明所建,利用传统工艺加工普洱茶、绿茶、红茶,产品卖到山东、广州、辽宁、昆明、普洱等地。

本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/a/201508/00002129.html

老新華茶廠は民国期の伝説的茶人である李子忠氏が1937年に設立し、思普地区の最初の規格的な茶場で、浙江省から製茶の先生を招き、きめ細やかな製造技法で緑茶、紅茶や伝統的な普洱茶を作っています。その設立の歴史は鳳慶茶廠、勐海茶廠よりも2年か3年古いのです。70数年前の新華茶廠の名は雲南に広く知られ、民国期の模範的な茶葉工場でした。
雲南炭焙紅茶は老新華茶廠の残した遺産です。解放後、新華茶場の工場は何度も移転し、最終的に1970年代には県政府のある街に引っ越し、名前を墨江茶廠と変えました。民国の伝説的な茶人・李子忠氏は、1951年に誤って殺害されました。
現在、李子忠氏の新華茶場が元々あった場所の近くに、新たに新しい新華茶廠が立ち上げられました。この茶廠は景星郷出身の李栄明氏によるもので、伝統的な技法を使って普洱茶、緑茶、紅茶などを造り、製品は山東省、広州、遼寧省、昆明、普洱などへ売られています。

新華茶廠は先進的な現代の技術と伝統技術が併存しており、高い基準とクリーン化した初期加工工場を持ち、さらに李子忠氏の時代の技術を使って、紅茶と緑茶を作っています。その技術とは手作業による殺青と揉捻をし、竹製の焙炉を使い炭火で乾燥させるものです。こうすることでかすかに炭火の香りがつくお茶は、古いお茶の愛好家たちの評判を呼び、現在、墨江県はこの茶の製造技術を無形文化遺産として保護しようと動き始めています。

炭焙紅茶といえば、雲南の伝統的な紅茶(晒紅)を除けば、最も早く省外から導入された紅茶の技法です。滇紅は、長い間、工夫紅茶とブロークンティーに分けられてきましたが、晒紅と炭焙紅茶は非主流ながら、民間の間で黙々と伝わり続けていて、表舞台に立つことは無く、専門家の目には入らず、長い間埋もれていました。
ここ数年、金駿眉が力強い勢いで伸びて行くにつれ、我々は工夫紅茶、ブロークンティーの他に正山小種というものがあることを知り、その伝統的な製茶技法と、現在の製茶技術の産物である工夫紅茶、ブロークンティーは自ずと違うものでした。

滇紅工夫と滇紅ブロークンティーは現在の製茶理念の産物ですが、それでは以前の雲南の最も古い紅茶である”太和甜茶”は発掘された晒紅で、これは雲南の地元で生まれた伝統紅茶で、その製茶の歴史は百年以上あります。私たちの知っている紅茶は三、四百年前に福建で生まれ、正山小種が紅茶の元祖といわれており、それが中国で最も伝統的な紅茶の製造技法だとされています。
19世紀末には、中国の茶の絶頂期は衰えを見せ始め、インド、スリランカなどの紅茶が伸びてきて、中国の茶の輸出は萎み始めていました。民国年間には、中国の茶人はイギリス、インド、セイロンあるいは日本を師とし、積極的に国外の先進的なお茶の栽培と製茶の経験を学び、中国の伝統的な紅茶と世界で主流の紅茶の製法を近づけるように積極的に改良を行いました。先進的な製茶機械を大量にイギリスから導入し、国外の紅茶の製造理念と技術を積極的に取り入れて、工業化、標準化、機械化、科学化した製茶を推し進めました。このように、工夫紅茶とブロークンティーは現代の製茶理念の産物なのです。

伝統を取り戻す時代に入り、雲南普洱茶は2003年頃から昔ながらの手作りの製茶方法への回帰の波が起こり、高級な普洱茶の時代が始まりました。

炭焙紅茶は正山小種の伝統技法と似たところがあり、金駿眉が正山小種の歴史文化と伝統技法の価値を深掘りして、現代の紅茶マーケティングの神話をつくり、各茶産地で続々と高級な名優紅茶のブームを生み出しました。これによって、”全国どこでも紅茶”の状況が生まれたのです。
雲南の伝統的な紅茶について言えば、晒紅は既に大衆向けの紅茶として開発ができるでしょうし、古樹の晒紅を用いれば、高級市場を開発することもできるでしょう。そして炭焙紅茶は、1930年代末に浙江省、安徽省一帯から導入された伝統的な紅茶の製造技法で、雲南における金駿眉の位置を占めることができ、全て手作りで炭火焙煎の技法は、雲南紅茶の高級品と最上品とすることができ、雲南の名優紅茶の時代を切り開けるかもしれません。

省外の先進的な紅茶の製造技術が雲南に伝わり、新華茶廠だけでなく鳳慶茶廠でも、最も最初に導入が始まった伝統的な紅茶は炭火焙煎技術でした。
鳳慶滇紅の生産の歴史を振り返ってみると、馮紹裘氏は機械と動力の設備がまだ完全に整っていない中で、従来の方法で取り組んで、人力による木製の揉捻桶を使い、足踏み式の機械を使い、竹籠でお茶を焙煎するなどの方法を使って、紅茶を作り上げました。最初の”新滇紅”約500担は、1939年に試作に成功しました。そして1950・60年代 には、雲南では多くの紅茶の荒茶の初期加工場ができましたが、条件に制約があったため、現代の乾燥設備が不足しており、よく焙炉を使って茶葉を乾燥させていました。
このように、省外の紅茶が導入された雲南では、現代の機械製茶の幕が開かれましたが、雲南紅茶の主要産地である鳳慶、双江、臨翔区、雲県、昌寧などの土地では、現代的な機械製茶に至るまでにはかなり長い時間がかかり、自作の木製機械と炭火焙煎の茶葉が共存していたのです。
1960年代半ば以降には、様々な生産条件が徐々に整って行くにつれ、手作りの製茶や水力や家畜の力を使った木製の揉捻機械と竹籠による焙炉は徐々に歴史の舞台から姿を消し、滇紅の主産地では、現代化された機械が天下を統一したのです。

私たちは、雲南の炭焙紅茶の技術が、景星郷一体に完璧な形で残っていることを知り、大変嬉しく思いました。この地域のある茶葉工場では、現代の滇紅の製造工程と手による炭火焙煎の伝統を分けていたのです。

墨江ハニ族自治県景星郷一帯で、なぜ炭焙紅茶のような伝統技術が長期間残されていたのかを考えると、市場のズレによるものだと思われます。建国後数十年の成長を経て、臨滄は雲南の現代的な紅茶の主産地になっており、普洱市やいくつかの地方は差別化の競争を行っていく中で、晒紅、炭焙紅茶のような伝統的な紅茶を捨てて補うようになりました。
伝統の価値が復刻する年代になり、ここ数年、普洱市の茶葉会社は晒紅と全て手作りの炭焙紅茶を作る会社がどんどん増えてきていて、市場の先行きは計り知れません。天下普洱茶国公司は、普洱市の茶産業を成長させる使命を持ち、国資委傘下の龍頭企業として、この歴史の流れに乗っており、積極的にその価値を高め、普洱の晒紅と炭焙晒紅を開発しようとしています。歴史文化の厚みや、その技術と飲用価値を伝承するとともに、現代のマーケティング手法を用いて、新しい種類と産業を興し、雲南紅茶の全く新しいブルーオーシャン市場を開拓し、これを雲南の茶業発展の新しい成長点としたいとしています。

天下普洱茶国公司の董事長兼総経理の包忠華氏は、雲南の三大茶区はそれぞれの特長を活かして、同質化した競争を免れています。普洱市は今後普洱茶の発展に当たり、普洱晒紅も新たな切り口になります。臨滄市は滇紅、普洱茶によって主に発展していくでしょう。版納州は普洱茶によって成長し、発酵熟茶は勐海県に唯一無二の特徴があります。普洱市は様々な茶文化の深みがありますが、その価値は長期間低く見積もってこられ、多くのものが企業や個人が為してきたことでした。なぜなら、力が限られていれば、定位置を確保するのは難しく、例えば墨江県は積極的に炭焙紅茶や鳳凰文化などを積極的に発掘し、鎮沅県は晒紅、中国藤条茶の郷などの文化を発掘すべきで、江城県は引き続き帕卡茶、水上国際茶之路などの文化価値をもっと活用するべきで、その他の県でも似たような文化がまだ重視されていないというのが沢山あります、と考えています。

今のところ、新華茶廠は3000畝あまりの茶園を墨江鳳凰茶山の”鳳凰屏古茶園”として作り上げ、重厚な茶文化と古茶樹の資源を使って、鳳凰古茶シリーズと炭焙晒紅、鳳凰晒紅などを打ち出しています。滇紅に新しい構想を打ち出し、雲南の炭焙紅茶復興の大きな旗を振り上げています。
 

見直しのきっかけは金駿眉にあったようですが、どこも個性的な地元ならではのお茶を作る方向に持って行こうとしているようです。

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