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良いお茶の本質は飲んで美味しいこと

普洱茶などで名産地や古樹の純料などのお茶がもてはやされています。
しかし、そうした動きに違和感を感じる人々もおり、そのような人たちはお茶の本質とは何かを考えるべきだと警鐘を鳴らしています。

 

还原茶之本真 好喝才是硬道理

近两年,云南个别区域及山头普洱茶的价格又遭到爆炒,一些所谓的专家站在狭隘的个人或小集团利益之上,又在“编故事”、“讲神话”,神乎其神地宣传唯山头至上的“山头主义”、纯乎又纯的古树“单株纯料普洱”,似乎离开了名山古树纯料,普洱茶就不是茶、就不能喝了!而更让人不能接受的是个别茶商把普通的普洱茶,包装上一个神奇的外衣或讲一段美丽的故事之后,也可把价格爆炒到天上,诚信缺失是最大的悲哀,如果任其发展对整个行业将是致命打击。

本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/a/201507/00002079.html

ここ2年ほど、雲南の一部の地域と山のプーアル茶の価格がまた投機の対象となり、一部のいわゆる専門家が特定の個人や小グループの利益のために、”物語を作ったり”、”神話を語ったり”して、大げさに1つの山だけで作った”山頭主義”や、古樹だけから作った”単株純料普洱”こそが至上と宣伝したり、有名な茶山の古樹で作ったのではないプーアル茶は、もはや茶では無く、飲めやしない!と騒ぎ立てました。さらに、とても受け入れられないと感じるのは、個々の茶商は普通のプーアル茶を、不思議な伝説という衣装をまとわせたり、美しい物語を語ったりして、その価格を大幅に吊り上げてしまったことで、信用を失ってしまったことが最も悲しく、業界全体の発展にとっては致命的な打撃になるでしょう。

班章、冰島、易武、昔帰などの茶山が良いお茶を産する名山であることを否認することはできませんが、その数量はどうしても限りがあり、世の中を冰島古樹、老班章普洱で満たすことはできないので、本物は投機的に価格が必要以上に吊り上げられてしまうことになり、価格は価値から完全に乖離してしまいます。茶は、1枚の小さな木の葉に過ぎず、中国の文人たちがそれに分厚い文化の概念を付け加えたたとはいえ、茶はまずは飲むためのものであって、飲んで美味しいものこそが良いお茶であって、物語が良いものが良いお茶であるのではありません。功利主義の茶文化は長く続くことはなく、茶は必ず本来のものに戻ってこなければなりません。

実際、お茶を飲むことは何も神秘的なことではありません。簡単に言えば、茶は異なる製法や異なる等級の原料によって作られるもので、それぞれのお茶にはそれぞれ違う味わいがあり、それぞれ違う味わいは、それぞれ違う人たちによって好まれ、自分の感じる味わいによって、自分の好きなお茶を選べば良いだけのことなのです。
どんな種類のお茶を飲もうが、良いお茶の基本的な要素として、以下の数点を備えているべきです。

1.水色が清らかで透明であること。良いお茶の水色は必ず清らかで透明感があり、明るいです。もし濁っている水色であれば、そのお茶にはおそらく欠陥があります。

2.香りにストレートさがあること。それぞれのお茶にはそれぞれの香りの特性があり、香りのストレートさは品質の高低を決定します。雑味や違和感のあるものは良いお茶ではありません。

3.茶水が柔らかいこと。戻りの甘さがあり、苦くて渋いのは止めた方が良いです。お茶の本質は苦いものですが、苦さの後に戻りの甘さがあるのは、良いお茶といえるでしょう。班章や曼娥のお茶のようなものです。口に苦さと渋さが広がり、戻りの甘さがないものは、良いお茶で無いと思って良いでしょう。

4.香りが高く、持続すること。香りがどのくらい持続するかは、品質の高低を判別する重要な要素です。当然、いくつかのお茶を比べながら飲むことができるならば、それはお茶を学び、知るには最も良い方法です。

専門のお茶の鑑定は、鑑定者が視覚、嗅覚、味覚の器官を使って茶を鑑定するもので、専門的なお茶の鑑定には5つの要素があります。つまり、外形、水色、香気、滋味そして茶殻です。この5要素の中でも、味わいと香り、外観が重要ですが、その中でも味わいが最も重要で、外観はその次です。

ある茶業界の有名人は、50年以内のお茶はそんなに良くなくて、最も美味しいのは100年のお茶だと言います。このような観点が議論をすべきかどうかはさておくとして、1つだけ言えるのは茶はどのくらい保管するかにかかわらず、最終的には飲むためにあるものであって、新茶(生茶)であっても飲むことはできるのです。生茶は飲めないというのであれば、それならば緑茶は普洱茶に比べればもっと生に近いのであって、それは一体飲めないというのか?ということになります。普洱生茶は日干しで乾燥されており、かすかに微発酵をしているはずで、緑茶は全く発酵していないのですが、それよりも生だというのでしょうか?

「新茶は保管し、老茶を味わおう」というのは現代人の言い方ですが、「天子は陽羨茶を飲みたいが、百草はまだ花も咲こうとしない」というように、新茶こそが珍重されていたものです。これは老茶が良くないと言いたいのではなくて、現在の科学の実験から人々がお茶を飲むという感覚に着目するならば、老茶の利点と良いところは実はあまりなくて、むしろ新茶の栄養成分の含有量の方が最高なのです。様々な論争はさておくとして、それでもお茶の本質というものは、お茶はまずは飲むためにあるもので、美味しいものこそが良いというのは、不変の道理なのです。

 

お茶そのものの美味しさよりは、そこにまつわる伝説やら希少価値などの方に意識が行ってしまっているケースも確かによく見られます。
文化などを学ぶのは大いに結構ですが、頭でっかちになりすぎては、やはりそれはお茶の本質からは外れた道なんだろうと思います。

 

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