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乾倉茶の台頭には、台湾茶商の影が

プーアル茶の分類として、保存する倉庫の違いによる乾倉茶と湿倉茶という区別があります。
最近、乾倉茶の勢いが増しているのですが、その影には台湾茶商の動きがあるという記事です。

台湾茶商资本巨头的博弈行为,看干仓茶的崛起

干仓茶的兴起,与台湾茶商的推动有着极大的关联。从营销学角度来说,干仓茶的兴起在一开始可被判定为市场行为。然而,这一市场行为却在后来慢慢的转变为一种市场内生动力。

本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/2014/0708/article_171706.html

乾倉茶の勃興は台湾茶商の推進と大きな関係があります。マーケティング学の角度で言えば、乾倉茶の勃興の始まりは、市場行為であると判定できます。しかし、この市場行為はゆっくりと市場の中での力へと変化を遂げていきました。

乾倉茶の勃興の過程は3つの段階に分けることができます。第1段階は茶商が主導して需要家に対して乾倉茶を勧めていく段階です。第2段階は様々な需要家が徐々に乾倉のプーアル茶を認識していく段階です。第3段階は様々なプーアル茶が自主的に乾倉のプーアル茶を追い求めていく段階です。

初期の頃の香港の倉のプーアル茶が市場の主流を占めていた時代は、プーアル茶の市場環境は大変シンプルでした。つまり、雲南で生産されたプーアル茶を香港の茶商が、プーアル新茶を倉へ入れるという処理を行い、そのあと少し時間が経ってから、発売して販売するのです。
この販売の末端にあったのは、香港の茶商であり、台湾や大陸の茶商もありました。台湾の茶商は90年代から徐々にプーアル茶の末端市場の主流の担い手となっていきました。

乾倉茶の勃興は、最も早い段階では茶商による推奨でした。しかし、徐々に消費者が自ら追い求めるものに変わっていきました。この家庭においては、食品の安全という要素の他に、もう1つの見逃してはならない原因があります。それは、プーアル茶専門の消費者とプーアル茶への投資家の出現です。

これまではプーアル茶の倉での保管技術については、香港の茶商が掌握していました。多くの地域で茶商たちが倉への保存を試みましたが、効果は一般的なものでしかありませんでした。
何年か乾倉プーアル茶の推奨をしていると、多くの店や消費者が、乾倉プーアル茶の保存技術は、香港の倉のプーアル茶よりも簡単に得られることを突然発見しました。
また別の面では、中国本土が経済的な発展によって、多くのプーアル茶商が推奨し、プーアル茶の消費市場がどんどん大きくなってきたのです。そして、大変多くの新世代のプーアル茶消費者は、以前に香港の倉のお茶に接したことがほとんどなく、また多くのメディアや商店の誤誘導によって、香港の倉のお茶はカビているお茶であると単純に認識してしまい、たとえば飲んだり身体に対して毒だと思うようになってしまったのです。
このような大きな背景があり、乾倉プーアル茶の需要は激増し、香港の倉のプーアル茶は日増しに辺縁化していきました。

未だに市場には需要はありますが、それらの非常に早期のプーアル茶の消費者は段々とプーアル茶専門の消費者になっていきました。彼らはプーアル茶に対して非常に深い理解をしていて、そのプーアル茶を陳化させる余地があるかどうかを判断する能力も持っています。
そして、彼らは自分が日常的に飲むプーアル茶の他に、多くのプーアル茶の新茶を積極的に大量に買い込むようになりました。プーアルの新茶をゆっくりと陳年茶に育つのを待って、市場の価格が徐々に上昇してきたときに、彼らは少しずつ手元にある保存していた茶葉を売り出し、経済的な利益を得るのです。
全体的に言うと、これらの一部の人たちは未だに飲むためのプーアル茶が主ではありますが、しかし、お茶を飲むことの他に、彼らが自分のプーアル茶の知識を利用して一定の経済的利益を得ることに楽しみ以外の何があるでしょうか?

このほか、乾倉プーアル茶の市場で渡り合う人たちもいて、これがプーアル茶の投資家です。このような人たちは、中にはプーアル茶を飲むこともしなかったり、或いはお茶を飲むことが彼らがプーアル茶を買う主な理由ではありません。
彼らがプーアル茶を買う理由は大変シンプルで、これによって経済的利益を得たいからです。簡単に言えば、プーアル茶は彼らにとってただの投資の標的なのです。株式や金などと同じなのです。
このような人たちが一旦市場に現れると、大変大きな影響力を持っていて、プーアル茶市場が活気に溢れているときは、彼らは確実に見える利益を獲得していきます。しかし、一旦プーアル茶市場に寒風が吹いたら、彼らは最も多くの損失を受ける人々でもあります。

 

台湾の茶商が、香港の茶商のような湿倉での保存技術を持っていなかったことと、湿倉=かび臭いというイメージが相まって、乾倉茶が主流になった、という分析です。
なかなか面白い見方だと思います。

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