中国のお茶を語る上で崇められている人物といえば、陸羽だったり神農氏だったりします。
ところが雲南省に限っては、別の人物が”茶祖”とされています。
云南茶农心中茶是圣物 祭拜“茶祖”居然是孔明
在云南茶农心中,茶是圣物。每年在采春茶的季节到来时,无论哈尼、基诺、壮、佤族都会不约而同地举行祭茶仪式。祭茶是茶农对天地的感激,对先民的怀念,更是对未来的祈福。
本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/2014/0925/article_174276.html
雲南の茶農家の気持ちの中では、茶は聖なるものです。毎年、春茶を摘む時期になると、ハニ族、ジノ族、チワン族、ワ族はいずれも地元で茶をまつる儀式を行います。お茶をまつることは茶農家が天地に感謝することであり、祖先への懐かしむことでもあり、そして未来への祈りでもあります。
雲南のプーアル茶の産地では、あるところでは古茶樹をまつり、あるところでは山の神をまつり、また多くのところでは”茶祖”-孔明をまつるのです。
なぜ雲南人は神農や陸羽を”茶祖”とせず、孔明をまつるようになっているのでしょうか。
これは諸葛亮の南征から話し始めなければなりません。雲南の攸楽茶山のジノ族の伝説によると、彼らは諸葛亮が南征したときに残していかれたとされています。諸葛亮は彼らに茶の種を与え、彼らが無事に暮らしていけるように、茶を植えて生計を立てるようにしました。ジノ族は”丢落”と自称しており、代々孔明を尊崇してきました。
清朝の道光年間に編纂された「普洱府志・古迹」にはこのような記述があります。
「武具が残された六茶山は街の南の方にあり、言い伝えによれば武候(武候とは三国時代の蜀の宰相だった諸葛亮を指します)は六山を周り、銅鐸を攸楽に残し、銅を莽枝に置き、鉄磚を蛮磚に埋め、拍子木を倚邦に残し、馬の鐙を革登に埋め、矢入れを慢撒に置きました。これにちなんでそれぞれの山に名前がつけられました。莽枝、革登には他の山のものと比べて大きな茶王樹があり、これは武候が植えて残したものと伝えられており、現在でも地元の人々はこれを祀っている」
この書物はまた、大茶山の中に孔明山があり、これは諸葛亮が矢所としていたところだと記しています(孔明山は勐臘県象明郷の西100里のところにあります)。古茶山の中でも孔明山は高くそびえていて壮観で、諸葛亮の矢所であり、上には祭風台の跡があります(言い伝えによると矢を射る場所は普洱府城の東南にある無影樹山とされています)。
清の時代の阮福は「普洱茶記」の中でこのように描写しています。「革登山には茶王樹があり、それは他のお茶と比べて高くて大きく、武候が植えて残したものと伝えられている。地元の人々がこれを摘むときには、まず酒を供えてこれを祀ってから行う」。毎年の農暦7月23日は諸葛亮の誕生日で、茶山の各村では集会が開かれ、これを”茶祖会”と呼んでいます。
2005年3月末、雲南省勐臘県勐侖鎮の中国科学院西双版納熱帯植物園は”孔明興茶1780周年記念中国雲南普洱茶古茶山国際学術検討会”が開催されました。人々は茶祖孔明を記念し、雲南の茶業界の精神を高め、普洱茶古茶山の振興など現実的なテーマを提出しました。
伝説の話ではあるのですが、諸葛亮がお茶に関わっているというのは、なかなかロマンのある話だと思います。プーアル茶を語る際の1つのネタとして、少し整理してお話しできるようになっておくと良さそうですね。