普洱茶の著名な産地の一つに無量山(无量山。「无」は「無」の簡体字)という産地があります。
有名な産地というのは、「昔から有名」だけでは成立せず、今の時代に合わせた茶業経営を行う方がいなければ、著名産地といえども没落してしまいます。
無量山のお茶を守る人の話が雲南の地元紙で紹介されていました。
1996年、高校を卒業した後、崔江皓さんは市場を鋭く読み、そして無限の精力と情熱を傾けて、自ら運輸事業を始め、人生で初めての給与を手にしました。彼はこの時、ずっとこの道を歩み続けるのだと思っていましたが、ある一つの事件が彼の考え方と方向を変えてしまいました。
1998年、ある広東省の茶商が無量山の普洱茶の名前を慕ってやって来ましたが、良い加工や保存が出来ていないことを見て、失望し、この地を離れていきました。崔江皓さんはこの茶商を送り届けた後、考え込んでしまいました。
無量山の普洱茶は、管理に規範が無く、設備も不十分で、技術も成熟していなかったために、品質が十分に保障されておらず、茶農家は本来有している非常に良い資源を持て余すどころか、無駄にしてしまっていたのです。このために、1998年、崔江皓さんは順調だった運輸事業を手放し、無量山荒茶購入所を立ち上げました。
彼は山の中へ行ったり来たりし、各地で操作の流れや加工技術を学び、各山ごとの茶葉の品質と味わいの違いを体験し、だんだんと自らの経験と技術を高めていきました。
それぞれの村の荒茶が集まってくるようになると、統一加工、管理、販売を行うようになり、無量山の茶葉は市場での価格が伸びていきました。そして崔江皓さんが創立した無量山荒茶購入所は地元の人により受け入れられて認知され、協力する茶農家がどんどん増えていきました。
崔江皓さんによると「2007年以前は、茶葉は1kgあたり16元ほどにしかなりませんでした。しかし、現在では大樹茶の平均価格は一般に200元あまりです。地元の人々との協力の過程では、一部の貧困世帯には先進技術を学ばせるだけでは無く、彼らに実際の利益を与えるようにし、生活は徐々に良くなっています」と言います。
崔江皓さんは、品質こそがブランドの根本であると深く認識しており、彼はこの機を逃さずに、2007年には景東忠皓茶行を正式に設立してブランドを立ち上げ、無量山普洱茶を市場に向けて、さらに一歩売り出すようになりました。
同時に、崔江皓さんは現代のマーケティングの方法を活用して、オンライン販売を大いに発展させて、省内だけで無く省外へも、オンラインとオフラインの販売ネットワークを構築しています。これは景東忠皓茶行の茶葉を積極的に広めていくということだけでは無くて、直接的、そして間接的に茶農家を動かし、多くの人を貧困から抜け出させて、豊かにすることを助けているのです。
産地の条件などが恵まれていたとしても、現代的なマーケティングであったり、品質管理、商品開発の方向性などをきちんと伝えられる人材がいないと、市場と噛み合いません。
ややもすると、かつての栄光に縋り、「本当に良いものだけを作っているから分かるはずだ」「良さが分からないのは客が悪い」となって没落していくのが常であるだけに、どこの産地であっても、このような人との巡り合わせがあるかどうかというのは大事なのだろうと思います。