プーアル茶では老班章に匹敵するほどの人気を集めている冰島のお茶。
このお茶について植物学の観点から分析した記事がありましたので、少し長いですが、ご紹介します。
以植物学观点解读冰岛茶
冰島村の鳥瞰図
冰島の古茶樹
近年来,冰岛茶因其茶味鲜爽度高及产量稀缺而身价暴涨。谈及冰岛茶的历史,有文字记载的时间为明朝(1485年前后),口传却早于明前。对冰岛茶的来历,在茶界流行着两种不同的说法:一为当地土司“版纳古茶山引入”之说,二为他地引入之说。冰岛茶到底是怎么来的?普洱茶专家高照教授以植物学观点论证其来龙去脉。
本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/a/201607/00004899.html
近年、冰島茶は味にうまみがあり爽やかさも高く、産量が限られていることから価格が暴騰しています。冰島茶の歴史について話すと、文字による記述があるのは明朝(1485年前後)で、口承では明より前からあるとされています。冰島茶の来歴については、茶業界では2つの異なった説が言われています。1つは地元の土司が”版納古茶山から導入した”とする説。もう1つは、他の土地から導入した説です。冰島茶は一体どのようにやって来たのでしょうか?プーアル茶の専門家の高照教授が植物学の観点から、その経緯を論証します。
植物学の観点からの論証:冰島茶はどのように来たのかは、「植物学的な観点から見れば、まず冰島茶は雲南大葉種茶に属すると言うことができ、すなわちプーアル茶の変種で、国際上の言い方で言えば、アッサムの変種です。次に、冰島茶の品種は、人工栽培による馴化を経たものであって、ラオス、ミャンマーの原始林の中にあるような野生茶ではありません。3つめに、冰島の茶樹は勐庫大葉種のグループにおける重要な代表であるということです」と、高照教授は言います。
臨滄には良いお茶があり、冰島茶は臨滄茶の中の1つの代表です。それでは、人工栽培で馴化した冰島の茶品種は、臨滄の地元で育まれたものなのか、それともよその土地から導入された品種なのでしょうか?高照教授の考えによると、勐庫の栽培型の茶は、一部は臨滄に元々あったもの(双江勐庫大戸賽茶、永徳茶)ですが、「大多数の優れたお茶の品種は、明や清の時代に西双版納から臨滄の双江に導入されたもので、そのあとに鳳慶などの土地に伝わり、今日の中国でもっとも重要な茶樹品種となっている、勐庫大葉種、鳳慶大葉種などを形成しました」。
臨滄には元々大葉種があったのに、なぜ西双版納州から茶種を導入したのでしょうか?プーアル茶の発展の歴史から見ると、「プーアル茶は漢・唐の時代に始まり、明や清の時代に興りました。しかし、本当に雲南大葉種茶が商品茶(とくに貢茶)として利用された時期は明朝前後です」と高照教授は言います。「3~400年前、一般向けの商品を作る、あるいは茶馬古道上の重要商品(進貢)として作るときのみ、このお茶は価値が上がったのです」これこそが、西双版納大葉種が臨滄の茶種より優れていたことの明らかな証拠なのです。
3~400年前は、ちょうどプーアル茶が盛んになった時期でした。これ以前の漢朝の頃は、プーアル茶は決して”歓迎”されるものではありませんでした。その後、宋朝からプーアル茶は徐々に市場に入っていきました。1つには輸送方式によって、プーアル茶は原産地から出て行くことができ、もう1つは、中原の文化と先進的な漢族の茶の栽培経験と雲南の少数民族の茶の栽培の歴史が融合したのです。易武茶区に今もあるような1つ1つの古茶園は、まさに当時の開墾と茶の栽培の生きた証拠なのです。
このほか、雲南のある地域ではさらに小葉種のお茶も導入しています。雲南省農業科学院茶葉研究所の王平盛さんは、西双版納州象明郷倚邦村茶区に確かに小葉種があることを証明しています。
遺伝学の観点からの論証:倚邦小葉種の形成
雲南小葉種茶の起源については、業界では2つの異なる説があります。主流となっている説は、雲南小葉種茶は地元の大葉種が変異してできたというものです。これは例えば、ある”権威ある先生”の考えでは、雲南小葉種の品種のルーツは雲南で、さらには小葉種茶の起源は昆明で、太華茶、十里香、宝洪茶などはいずれも雲南起源の小葉種であると考えています。もう1つの説は、雲南の倚邦地区の小葉種茶のルーツは巴蜀の大地、すなわち四川だというものです。
雲南小葉種茶はよそから来たもの、それとも大葉種茶が変異してできたものなのでしょうか?「小葉種茶、これには太華茶、十里香、宝洪茶も含みますが、これらのお茶は外から導入した品種です」と高照教授は考えています。雲南の茶の中には、一部、葉が少し小さくて”藤条茶”と呼ばれるものがありますが、このお茶は雲南大葉種茶が変異してできたものです。茶の葉は茶樹の栄養器官で、栄養器官は生態環境の変化などの条件によって、大きく変わることがあります。たとえば、茶葉の歯の形や葉の大きさなどです(その遺伝特性との関係はあまり大きくありません)。そのため、大葉種茶の中で、葉が少し小さい個体やグループがあると言うことができます。
遺伝学的な観点から見ると、高照教授は、「小葉種と大葉種はルーツが同じではありません」と考えています。人類に喩えれば、黒人と白人では、両者は異なる気候帯にあって、大きな差のある生態環境条件の中で形成された異なる人種です。大葉種茶は原始林の中で成長し、茶樹は地面から高く伸び続けないと、常緑広葉林の中で太陽の光を浴びることができないので、そのためにその樹形は喬木型になり、その葉は比較的幅が広くて薄いものになり、さらには大葉種茶の生葉には茶ポリフェノールが一般的な小葉種の含有量よりも明らかに多くなるのです。
「私たちが古い老茶樹の原始的な種の起源の問題について話すときは、4~5000年前の気候を十分に理解し、さらには当時の地球のプレートの構造と変化について知らなければなりません」と高照教授は言います。「人類の誕生以前、地球の温度は下がり続けていました。そのため、雲南小葉種茶の形成と起源は、少なくとも雲南の東北部(現在の昭通市)、貴州、四川などの土地で、昆明などでは無く、さらには現在の西双版納の地域内であるはずはありません」。これはなぜかというと、雲南の昔の気候と地質条件は、小葉種の遺伝特性を形成するものを備えていないからです。
茶の仲間の植物学の論証:
雲南小葉種茶の形成は、「張宏達氏の分類によると、茶の仲間の植物は30種類あまりの種があり、張宏達氏によれば、大葉種茶と小葉種茶は同じ1つの種類ではなくて、両者の祖先は同一では無いと考えています。イギリス王立植物院の教授によれば、茶の仲間の植物は13の種があり、大小茶種は同一の種だとしています」と高照教授は言います。この12の種のうち、2つか3つの種には非常に大きな特徴があります。その他の原始的な野生種のおしべは数百個、めしべは1個なのはアッサムの変種と小葉種茶で、3つの柱頭があるのはそれが後に栽培型の茶種になったものなのです。13の種のうち、さらに10種は柱頭が4つあるいは5つあるものは原始的な野生種で、さらに古い種です。それでは、雲南で現在栽培されている大葉種、小葉種、さらに広西地区と雲南紅河州の白毛変種には、いずれも共通する1つの特徴があって、それは柱頭が3つしか無く、種は3個しか無く、最も多くても4つで、野生のものは4つか5つだということです。
「私の遺伝学の研究によれば、私の考えは、大小葉種には1つの共通の祖先があるというものです」と高照教授は言います。遺伝的浮動説(すなわちモーガンの遺伝子理論)から見ると、1つの種の形成は環境に加えて遺伝子の突然変異があり、たとえば1つの古い種が様々な地域に広まると、辿り着いた先と元々あった場所が似た環境であると、その遺伝子は一般に突然変異をしません。しかし、もし新しい環境に辿り着いたとき、その遺伝子がその新しい生態環境に適応するように突然変異を起こします。これによって得られる特性は、古い種とは本質的に違うもので、これによって新たな種が生まれ、あるいは新しい変種が形成されるのです。
言い換えるならば、小葉種は新しい生態環境の中で形成された特有の特徴なのです。第1に、形態の特性に関わらず、茶ポリフェノールの含有量はいずれも大葉種茶とは違います(小葉種の茶ポリフェノール量は20%以下なのに対し、大葉種の茶ポリフェノール量は30%以上です)。第2に、小葉種茶は耐寒性がより強く、零下10~20℃でも生き延びることができます。さらに言うならば、大小葉種の間には大きな差がありますが、少なくとも変種間の差があって、さらには種の間の差ほどものものあります。高照教授は、「私の見方は、さらに科学的な測定(DNA測定)と科学研究の成果によって証明されなければなりません」と言います。
このほか、阮殿蓉氏は賀開に樹齢1300年の栽培型茶樹があると言っています。現在ある資料からみると、雲南の栽培型茶樹でもっとも古いものは南糯山の既に枯れてしまった800年茶王樹でした。もし、賀開に樹齢1300年の栽培型茶樹が本当にあるのであれば、それはプーアル茶の栽培型茶樹の歴史を書き換えるものになります。
(本文は高照教授の口述を整理したもので、高照教授のチェックを経ていません)
非常に長い文で、後半の方は書いている記者の方も良く分からずに書いている感じなので、なんだかよく分からない文章になっていますが、遺伝学的な分析はまだまだ進んでおらず、ハッキリしたことが分かっていない所も多いようです。
ただ、整理されている部分だけを抜き出すならば、冰島の茶品種は勐庫大葉種であり、そのルーツは、どうやら西双版納から明代か清代に持ち込まれたお茶の樹から発展してきたものだ、というところでしょうか。