浙江省長興県の長興紫笋茶(顧渚紫笋茶)。
歴史的な名茶としても知られるこのお茶ですが、今では存在感が希薄になっており、なかなか店頭でも見かけないお茶になっています。
低迷の理由と今後の対策について、ちょっと長い記事ですがご紹介します。
品牌价值10亿如今左右为难 长兴紫笋茶的重振之路
4月6日上午,住在长兴县水口乡金山村的村民邱廖民终于联系好了白茶苗供应商,他准备将家里种了多年的3亩多紫笋茶老品种改种安吉白茶品种。在此之前,长兴一处600亩茶园里的茶树老品种也改种了白茶。
本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/a/201604/00004279.html
4月6日午前、長興県水口郷金山村に住む邱廖民さんは白茶の苗の業者についに連絡を取りました。彼は長年、紫笋茶の老品種を植えていた家の3畝の茶園を安吉白茶品種に植え替える準備をしています。これまでに、長興県の600畝の茶園にある老品種が白茶に植え替えられました。
毎年清明節になると、茶商たちにとっては、一年で一番の繁忙期です。この新茶を発売するときこそが、多くの茶商にとってはお金を稼ぐ時期なのです。しかし、かつて茶葉市場では安吉白茶、長興紫笋、莫干黄芽の三足鼎立だったものですが、長興紫笋はここ2年ほど異常なほど低調になっています。
新茶茶摘みの記者会見もなく、茶摘みのイベントもありません・・・多くの茶葉店では、最も目立つ位置は安吉白茶に与えてしまったままです。
2015年、中国茶葉ブランド価値評価チームは、長興紫笋茶のブランド価値を10.76億人民元と評価しました。長興県紫笋茶協会のある専門家は、これに感嘆しました。これは衰退に向かう道なのでしょうか、それとも再び輝きを取り戻すのでしょうか?10億あまりのブランド価値を背負った長興紫笋茶は、今まさに難しい境地に立たされています。
<紫笋茶の正統性の争い>
正統性の争いは、長興紫笋茶を語る上で避けられない話題です。いったい、どのようなお茶こそが正統な長興紫笋なのでしょうか?
現在、長興県の地域内では、長興紫笋茶の茶品種の正統性の争いには2つの言い分があります。一つは龍井43号で、もう一つは鳩坑群体種です。
この2種類の言い分のもとは、1980年代の中・後期に遡ることができます。
1985年、長興紫笋は国の農業部が選定する全国十大名茶となりました。当時、茶葉研究所に送ったサンプルは、鳩坑群体種だったのです。このため、多くの人は鳩坑群体種を長興紫笋茶の正統とするべきだと考えています。
1990年代、早熟の茶品種の育成に成功するようになると、鳩坑群体種は茶摘みの時期が遅いなどの理由から、長興の茶農家は続々と早熟の”龍井43号”を長興紫笋茶のファーストチョイスの品種にしました。
まさにこのために、長興紫笋茶の正統性の争いがあるのです。
いわゆる長興紫笋茶の正統性の争いは、学術の流派の争いに似ています。その実態はどうであれ、正統性の争いの背後では、紫笋茶自身のブランドが曖昧になってしまうことになりました。
長興県水口郷のある茶の栽培農家は、正統性の争いは、紫笋茶ブランドの市場での影響力を分散させた、と考えています。水口郷の顧渚は、紫笋茶の原産地ですが、現在の栽培面積は長興県の泗安と小浦などの郷鎮には及びません。正統性の争いは、長興紫笋茶の現状を引き起こしている主な原因の1つなのです。「紫笋茶は、もともとはこのような品種の正当性の論争はなくて、紫笋茶と呼ばれるのはその名前の通り、製造技法によるものであって、茶の品種によるものではありません」と長興県農業局経済作物所の所長・沈林章氏は言い切ります。彼によると、紫笋茶の正当性の論争は多くの場合においては、販売業者が自分たちのブランドを作るためのこじつけに過ぎない、と言います。
安吉白茶の”簡単な身上”と比べると、長興紫笋茶は正統性で紛糾するのは、沈林章氏にしてみれば根も葉もない話です。彼は、長興紫笋茶が直面している市場でのブランド力の低下は、正当性の論争の多くは売り手がわざと訳の分からないことを言っているだけで、根本の原因はやはり市場で押しのけられてしまっていることにある、と言います。
長興県泗安鎮には、現在、紫笋茶の栽培面積が2万畝前後あります。この数字は変動するかもしれません。その原因について、泗安鎮の農業事務所の職員は、安吉白茶の栽培に比べ、紫笋茶の経済的な効率にメリットがないからだ、と言います。
取材によると、今では1軒の農家が1畝の白茶を栽培すると、生葉の収益は4000元前後になります。しかし、紫笋茶を1畝栽培しても、その収益は3500元にしかなりません。500元の差額を市場での天秤にかけると、生葉を栽培するだけの農家にとっては、安吉白茶へ植え替えてしまうのです。
1980年代には、長興県張峰茶廠では鳩坑種を栽培し、長興紫笋の製造を始めていました。現在、茶廠が栽培している鳩坑群体種はなお600畝もあります。茶廠の責任者の胡国華氏は、長興紫笋茶の最大の茶園であり、長興紫笋を振興するために、道義上断れませんと言います。
<”ブランド弱体化”の背後にあった事の次第>
農家は植えたがらず、市場シェアもどんどん低下。二重の効果で、長興紫笋茶の茶園面積は崖から落ちているのでしょうか?
この質問について、長興県の関連部門が出した答えは、長興県の紫笋茶の栽培面積は、2001年の3.35万畝から今年は4.4万畝に増えていて、栽培規模は下がっていないのです。しかし、白茶は長興のこの数字の中に姿を現さないまでも影響が出てきていて、これが”紫笋茶がどこかへ行ってしまった”ことの答えなのです。
2001年から2015年にかけて、長興県の白茶の栽培面積はゼロから7万畝以上に伸びました。そのうち、2006年から2011年の伸びが最も明らかでした。白茶の栽培面積が急増するにつれて、2015年の長興の茶葉の総産出額7.4億元のうち、紫笋茶は3割前後にしかなっていません。
長興は紫笋茶のふるさとですが、茶園の中では白茶を多く見ることはあっても、紫笋茶の姿は少ない。これは既に既成事実なのです。
茶の栽培面積の総量は急速に増えていますが、紫笋茶の茶園面積は”足踏みをしたまま”で、これが紫笋茶のブランド影響力が低下している1つの主要な原因です。ブランドのマーケティング力も相対的に分散するので、これが紫笋茶のブランドがここ数年、どんどんマイナーになっていることのもう1つの誘因になっています。
2006年から2010年を振り返ってみると、長興紫笋茶は1つの繁栄期で、市場全体への強いマーケティングの働きかけがあって、当時の長興紫笋茶はまるでロケットの上にいるかのようでした。
2008年、大唐貢茶院がオープンし、当時は紫笋茶の名前は通っていて、文化的な旅行の代名詞でもありました。そのあと、長興県の管轄部門は”親子商標”を推進し、これによって長興紫笋茶のブランド分散の問題をうまく解決できました。
このほか、長興紫笋名茶開発有限公司と長興紫笋茶協会が相次いで設立され、長興紫笋茶の足場をさらに固めました。紫笋茶の栽培に補助を出すなどの政策もあり、農家は紫笋茶の甘い蜜を味わうことができました・・・メリットが次々にあったため、長興紫笋茶はあの当時の黄金時代を得られたのです。
しかし、2006年から、白茶のうまみがあって爽やかな味わいが人々に多く受け入れられ、市場の新しい寵児となりました。比較的甘くて厚みのある長興紫笋茶の転換を待たずして、様々なうまみがあって爽やかなタイプの品種が発売され、長興紫笋茶はどんどん市場を失っていきました。
話によると、安吉白茶が市場での領土を拡張するにつれ、長興紫笋茶はずっと長江デルタの主要市場を突破することができなくなってしまいました。
このほか、最近、長興紫笋茶の市場へのプロモーション力がどんどん縮小して行くにつれ、これも長興紫笋茶の市場認知度も下がり初めて行くことになりました。
<紫笋茶の再興の道の”診断を聞きます”>
取材を通じて分かったことは、長興紫笋茶のブランドが弱体化している状況に対し、政府部門と企業は積極的な対策を打ちはじめているということです。「長興紫笋茶はしばらく谷の時期にありますが、根本から供給側への改革を行います」とは湖州市農業局の茶の領域の専門家である陸文淵氏がどのようにして長興紫笋茶の復興を行うかの対策です。
「市場全体へのプロモーションと製品の標準化が紫笋茶の市場での再興への陣太鼓です」陸文淵氏の観点について、沈林章氏は、長興紫笋茶の再興は、政府と全ての企業がどれだけ良く連携し、市場に対してのプロモーションとブランドマーケティングをどれだけできるかが、紫笋茶再興の王道です、と言います。
専門家たちの販売ルートと市場へのアプローチの考え方に対し、長興のある紫笋茶生産企業は紫笋茶の味わいの改善を始めていて、新しい製品で市場を取り戻そうとしています。
浙江唐聖茶業発展有限公司の責任者・季海峰氏は、昨年から産学協同のモデルを採用し、鳩坑群体種から育成した長興紫笋茶の新品種”紫笋一号”を育成しました。これはまだ育成段階ですが、季海峰氏は自信満々です。彼に依れば、長興紫笋茶のブランドはまだ健在で、市場が変わったので、製品を市場の歩みに合わせなければいけません、と言います。長興紫笋茶の再興は、積極的な試みなのです。
今年の長興紫笋茶の市場では、長興紫笋茶の新ブランド”長興金紫笋”が登場しました。このお茶はアミノ酸含有量がより高いだけで無く、茶水の色沢と味わいが現在市場で受けている清らかで淡い味わいのお茶になっています。このために、新ブランドの”長興金紫笋”の販売価格は1kg6000元もの高値になっています。
このほか、長興の多くの茶の生産企業では、今年から西安と広州の市場に向かって、紫笋茶のプロモーションを始めました。ある長興の会社は、さらには長興紫笋茶の北方の市場への布石も始めています。
長興紫笋茶の再興の道と同じように、沈林章氏のいる長興県農業局経済作物所の中には昨年から鐘心堯氏と程摯氏という2人の1989年生まれの若い伝承人がやってきています。
歴史的なブランドとして知られるお茶ですが、近隣に安吉白茶という時代の寵児があるがゆえに、なかなか市場での存在感を示せずにいたようです。
お茶は経済作物なので、どうしても効率の良い方へ引っ張られるのはやむを得ないところですが、今後の地元の振興策に期待がかかりますね。