普通に使っている言葉なのに、改めて定義を聞かれると言葉に詰まってしまう言葉があります。
「茶文化」という言葉もその1つですが、普洱で開かれたトップフォーラムの中で、この言葉の定義についての熱い議論が行われたようです。
茶界专家学者热议:茶文化到底是什么?
茶文化到底是什么?是本届论坛的一个最基本的内容,此前虽然已经举办过两届两岸四地茶文化高峰论坛,但对于茶文化的基本界定仍旧是百花齐放的局面,每位专家学者从不同的角度和经历都会得出不同的结论,并没有一个整齐划一的答案,这也恰好证明了茶文化的包容性和多元性。
本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/a/201505/00001369.html
「茶文化とは一体何か?」これが今回のフォーラムの最も基本的な内容でした。これ以前にも既に2回の両岸四地茶文化トップフォーラムが開催されてきましたが、茶文化の基本的な定義については依然として諸説が飛び交う状況で、専門学者はそれぞれ異なる角度や経歴から結論を出すことができず、1つとしてきちんとした回答が無く、これは茶文化の包容性と多元性をまさに証明していました。
北京師範大学人文宗教高等研究院の常務副院長である朱小健氏は、茶は両岸文化を溶け合わせる水だと考えています。彼は、茶は既に中華文化の表層にある日用品であり、また中華文化の中層である生活スタイルで、さらには中華文化の底層としての精神の追求でもあります。両岸文化が溶け合うためには、人がそれを促さなければなりませんが、茶はその中でも最も生命力のある清らかな水なのです。
中国国際茶文化研究会常務理事の林治氏は、茶は”健康の液体”、”快楽の杯”、”魂の飲み物”、”人民生活の大計”、”トーテム飲料(訳注:部族や民族を結びつけるための飲料といった意味)”です。また、茶文化は生活の1つであり、楽しみの1つであり、境界の1つでもあると言えるでしょう。
普洱で茶祖を祀ることは、難しく言えば、普洱の各民族の人々が茶をトーテム飲料とするための敬虔な心理の現れだといえます。私たち中華民族は自分たちを炎黄(訳注:炎帝【神農】と黄帝)の子孫であると考えており、このために私たちは茶を中華民族のトーテム飲料として尊んでおり、お茶については適切な畏敬の念を持っています。
茶に対して畏敬の念があるために、化学肥料をみだりに施したり、農薬をみだりに撒いたり、ブランドを傷つけるような悪いことは拒絶しなければなりません。そして茶の生産標準化を完璧に行い、国家衛生標準の実施と市場の管理を強化することで、人々が心を深く痛めるような状況を変えることによって、中国茶は国際市場での地位をまた上昇させることができるのです。
江西省中国茶文化研究センター副主任の余悦氏は、茶文化は中国人の精神世界において不可欠な部分であって、儒教・仏教・道教の思想はもちろん、民間の一般の概念においても、既に有機的に結びついているのです。中和の道、名倫の理、清雅の境は茶文化の核心的な価値で、中国人の精神世界の重要な構成要素です。
古代の文人の生活という観点に立ってみると、古代の文人と茶には切っても切れない縁があり、”品”は茶と文人の精神の追求で、”雅”は茶と文人の社交娯楽で、”韻”は茶と文人の芸術創作です。品、雅、韻の3つと茶文化は密接に関連しており、また中国人の精神世界と密接な連動があります。このように茶事と生活は一体として融合していて、また精神世界とは分けられないものなのです。
中国国際茶文化研究会栄誉理事の羅慶江氏は、茶は宗教の信仰を越えるものだと考えています。茶道は茶事の修練を通じて、自我の認識を高め、物質的な享受に始まりますが、最後には物質から抜け出て、内では心を整え、外では他人を敬い、清らかな無我の心を持ち、自らを律し、何ものにも染まること無く、足るを知り恩に感謝します。生活芸術によって自我を磨き、正確な人生観と価値観を育てることには、仏教の”覚悟”、道教の”天人合一”、キリスト教の”恩に感謝”などと繋がるものです。
事実、茶は全人類の健康飲料で、様々な宗教の信徒はみな茶を好んでいることが証明しています。特に中国文明の茶道は最もそれを多く含んでいます。各宗教の礼儀でも酒を禁じるものはありますが、茶を禁じるものは無く、この点からも茶は宗教の信仰を超越することが見えます。
少々哲学的な内容なので訳しにくいのですが、中国人が考える茶文化が少し見えてくる内容ですね。