中国茶というと”茶芸”という言葉の方が定着している感がありますが、当然のことながら、”中国茶道”という言葉もあるわけです。
日本に暮らしている私たちは、日本茶道というのは、なんとなくイメージがつきますが、中国茶道というのは、どのようなことを大事に考えているものなのでしょうか?
その精神的な要素について、書かれている記事を発見しました。
中国茶道的精神元素
http://news.t0001.com/2011/0206/article_119820.html
中国茶道は東方文化に属し、それが含む精神的な要素は、疑いなく我が国の優秀な文化の一つです。我が国の伝統的な人文精神は、儒教、仏教、道教の入り交じった中にあり、自ずから中国茶道の精神も”和、静、怡、真”が一体となった形として現れます。茶をたしなむ人は、伝統的な哲理道徳、品格の中に精神の動きを昇華させたものを溶け込ませ、茶の中に滲ませるのです。
”和”は、中国哲学思想の核心で、「周易」の中の”保合太和”の精神は茶道の魂でもあります。和は儒家の学説の中では、”中庸の道”として体現されています。”礼之用,和為貴”は心を合わせて協力し、謙虚で礼儀正しく人に接することですし、”天人合一”は人と自然の調和が必要です。
”静”は、中国茶道を学ぶ上で、必ず通らなければ行けない道であり、茶人の魂によります。老子は”守静篤”を提唱し、白居易は”静養和与真”といいます。蘇軾は”静”を志をはっきりさせるよう修養することがはじめであるとし、茶をたしなむ人は”茶需静品”の理論と実践を行います。
”怡”は喜びと楽しみです。これは茶人の精神で必ず必要なものです。茶の効能は養生と精神を醒ますことであり、お茶をたしなむ中で生理上の快感と精神上の心地よさが一体となります。茶酔いをしている時には、心が晴れ晴れし、飄々とした仙人のような感覚がありますが、この種の精神体験は我が国の文学作品の中で多く表現されており、我が国の人の精神を最大化させるものです。
”真”は、我が国の伝統的な儒家が身につけるべき要義であるだけではなく、中国茶道の究極的な追求です。”真”という言葉の中には、お茶が本当の香りや味であるということだけではなく、環境や茶具、そしてのみてもまた真の心を持っているということを意味します。お茶を飲む人はまた、真を守り、真を育て、真を保つことが必要であり、このような茶道を学ぶことを通じて、”真善美”の人格を身につけ、人生の真の意味に到達します。
このように、中国茶道は中国の精神的なエッセンスを体現しており、お茶をたしなむ人はただ誠心誠意打ち込むことにより、少しずつ得ていくことができるのです。
つまり、中国茶道を知る上では、彼らの精神的根幹を形作っている、儒教や仏教、道教について学ぶ必要がありますし、そして、この道を究めていく上では、自分自身の精神性を高めていくということをしていかなければならないわけです。しかも、少しずつしか得ていくことはできないという、とても大変な道であるということのようです。
茶の道はどこの国も厳しいですなぁ。
それにしても、こういう話を読むと、「こうすれば綺麗に見える」とか言って教えてる中国の茶芸って一体何なの?という気がします。
あまりにもお手軽にしすぎやしませんかね:-(