福建省など中国の南部から東シナ海、南シナ海、そしてインド洋を経て、インドやアラビア半島へ向かう海のシルクロード。
その起点となる福州市はかつては世界的なお茶の輸出港であった、という記事をご紹介します。
福州曾是海丝路上的“世界茶港”
福州市博物馆馆长、研究员张振玉5日接受记者专访时表示:“福州产茶历史悠久,茶叶资源丰富。随着港口贸易的发展和海上丝绸之路的兴盛,福州港成为中国主要的茶叶出口地。五口通商后,福州成为海上丝绸之路上驰名中外的‘世界茶港’。
本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/2014/0514/article_170101.html
福州市博物館の館長で、教授の張振玉氏は5日、取材に答えました。
「福州の茶産の歴史は古く、茶の資源も豊富です。港の貿易の発展と海のシルクロードの発展に従って、福州港は中国の主要な茶葉の輸出地となりました。五口通商(訳注:1842年イギリスとの南京条約で5つの港・広州、厦門、福州、寧波、上海を開港したこと)の後は、福州は海のシルクロードの中で著名な”世界的な茶の港”となりました」
「福州の茶産の歴史は古く、お茶の資源も豊富で、製茶の技術は先進的でした。これらのことが福州が茶の港としての地位を築く基礎となりました」と張氏は言います。
「五口通商の前は、武夷山の茶葉は水路と陸路を使い、苦労をなめ尽くして広州から輸出されていました。五口通商の後は、福建省のお茶の輸出の中心は福州に移り、清の末期に福州の茶葉市場は隆盛を極め、中国三大茶市場の1つであり”世界のお茶の港”になったのです」
1666年、オランダ東インド会社は中国の茶を直接ヨーロッパに輸入しました。
1684年、福州は福建税関(闽海关)をつくりました。これは中国で初めて税関が作られた都市です。
1844年、福州は五口通商の開港都市の1つとなりました。福州の茶葉貿易は最初の10年間あまりはひっそりとしたものでしたが、1853年になると突如、劇的な転機が訪れます。太平天国の乱と上海小刀会の起義により、武夷山と広州を結ぶ古い茶の道が切断されるとともに上海への新しい茶の道が開通しました。清政府は海禁の解除を迫られ、福建の茶葉市場を開放し、茶葉を福州から輸出することを許可したのです。各地の茶葉は、福建税関を通じて、欧米の各国に輸出されるようになり、茶葉貿易は福州の輸出貿易の支柱となりました。
福州茶葉市場の茶の主な原産地は、福州近郊と閩候、長楽、連江、羅源などでした。このほか、他の省の荒茶も含まれていました。
交通の便が良かったため、各地の茶葉が水路や陸路で福州に運び込まれ、福州は福建省内で最も重要な茶の中心市場となりました。
五口通商後、福州は漢口、九江などと並び称される中国三大茶市場となり、茶の年間の輸出量は400万ポンドに達し、中国の茶葉輸出総量の35%を占めました。統計によれば、1860年~1886年、福州港の茶葉輸出量は持続的に上昇するだけでは無く、ついには中国の茶葉輸出総量の3分の1以上を占めることになり、国内外に名の知られた”世界の茶の港”となり、海のシルクロードを浸かって茶葉を海外に販売するための重要な輸出港であり積み替え港になったのです。
福州市がヨーロッパなどへの茶葉輸出で大変重要な役割を果たしていたことがよく分かる記事でした。