日本では、茶の市況悪化や生産者の高齢化・後継者難などから、耕作放棄茶園の増加が問題になっています。
この問題は、茶の市況が比較的好調な中国でも起こっている問題のようです。
石柱三坪村1200亩撂荒茶园变高山蔬菜基地
近日,石柱土家族自治县六塘乡三坪村,20余位村民正在整治出来的地里,点播四季豆等高山反季节蔬菜。
本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/2013/0515/article_156801.html
最近、重慶市石柱トゥチャ族自治県にある六塘郷三坪村では、20名あまりの村民たちが整地された場所に、インゲン豆などの高原野菜を植えています。
「都会の人が投資をしてくれなかったら、私たちはあと何年、この茶山を荒れ果てさせていたでしょう」と、腰をかがめながら種を植えていた周老人(女性)は感慨深げに話します。
1970年代、三坪村の村民たちは海抜1000m前後の山を開墾し、1210畝の茶園を作りました。
1980年、生産責任制が実行されると、茶園は人々に按分され、138戸の村民たちによって請け負われました。
「20年前は、茶葉の市場が良くなかったので、生葉を買いに来る加工企業はなかったし、若い人たちは出稼ぎに行ってしまって、茶園はだんだん管理をする人がいなくなり、荒れ果て、野生のイノシシたちの”楽園”になっていました」。当時、”茶摘み娘”だった周老人は、そう話してくれました。
六塘郷の党委書記は、「昨年9月、郷の幹部を三坪村に派遣して調査研究させ、村民とともにどうやってこの1200畝あまりの茶園を”起死回生”させるかについて、話し合いました」と言います。
既に20年あまりも荒れ果てていた茶園は、茶樹も老化し、産量はきわめて小さくなっていました。この茶山を再び活気づかせるためには、別の道しかありませんでした。幹部と村民が話し合った末、この土地の気候と土質にあった、季節外れに出荷できる高原野菜を植えることが良いだろう、と言う認識になりました。
「長年にわたって荒れ果てた茶園を、産量のある安定した野菜農園に変えるためには、1畝当たり2000元近い資本投下が必要でした」と党委書記は話します。村民たちはどうやって、このお金を賄ったのでしょうか?
石柱南賓鎮の陳益民さんは、元々は不動産開発を仕事にしていましたが、2年前から農業開発に転向し、怡城農業開発有限公司を立ち上げて、南賓鎮でトウモロコシや大根などの野菜を育てていました。郷を通じて、三坪村に招かれ、考察をした後、陳益民はすぐに投資を決定しました。
138戸の村民たちは、農業開発会社と協定を結び、村民たちは土地を差し出し、会社は200万元を出資し、株式会社での開発を行うことになりました。開発会社が51%の株を持ち、村民たちは49%の株を保有。会社は具体的には開発と栽培、販売の仕事を担当します。
現在、三坪村の村道と野菜農園の約1キロあまりの道が整備され、自動車が直接入れるようになりました。その土地にあった老茶樹はきれいに無くなりました。
忙しそうに作業に励んでいるある農民は、彼が持っていた3畝の茶園を出資し、本人は会社の職員となり、1日当たり70元の賃金を得ています。
彼によると、この1200畝あまりの高原野菜農園では、1畝当たりの年産金額は少なくとも5000元以上になり、コストを除けば、1畝当たりの純利益は2000元前後になると、そろばんを弾いています。
このような利潤の計算によって、会社の開発に参加した農民は、1畝当たり毎年1000元近い収入が得られる見込みです。
この記事では、茶園を季節外れに出荷できる高原野菜の産地に作り替えた例が紹介されています。
地元政府が民間企業の投資意欲を使って、問題を解決して行こうとする姿勢は、なかなか感心させられるものがあります。