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径山、禅茶文化の中心地に

日本との繋がりも深い浙江省杭州市余杭区の径山ですが、このたび3つの称号を得たそうです。

「良渚の世界遺産申請の成功がもたらした素晴らしい時間は、文化伝承の必要性を証明しました。将来、径山の禅茶の数千年の歴史が継承され、開拓されることで、多くの人々の目がここに集まるかもしれません」と杭州市余杭区委員会常任委員会宣伝部長の王妹氏は、”中国径山禅茶文化座談会と看板授与式”で述べました。温盞、製粉、調膏、撃拂…7月16日午後、宋代のお点前が余杭区径山で再現されました。

この会では、中国国際茶文化研究会常務副会長の孫忠煥氏が杭州市余杭区に”中国径山禅茶文化園””中日韓禅茶文化中心””中華抹茶之源”の三大栄誉を授与し、これは径山の禅茶文化を広めるのに助けとなることでしょう。
径山の禅茶は昔からあり、1300年あまり前、40歳近い法欽禅師が雲游からやって来てここに禅寺を開山し、五つの峰に自ら茶樹を植え、それを仏に供えるとともに座禅の時に意識が遠のくのを避けるようにしました。唐代の茶聖陸羽は径山に滞在し、清泉を味わってお茶を試し、かなり有名な陸羽泉としてその名前が残っています。宋代には、日本の高僧である南浦紹明が径山にやって来て仏の道とお茶を学び、茶の種と宋代の頃に盛大に行われていた径山茶宴を日本に伝え、これが”日本茶道”へと変化を遂げました。

交流の発言の中で、省政協委員で浙茶集団董事長の毛立民氏は、抹茶産業をとりまく状況について見解を述べ、今後は六大茶類はいずれも抹茶にすることができ、茶葉の形式を豊富にすることで、抹茶の消費をより高い次元に押し上げることが出来るだろうと述べました。茶文化の専門家である鮑志成氏は、径山の禅茶は全ての人が共有しなければならないとし、その普及の過程においては高いレベルから始めてハイエンドのデザインを行うべきだと述べました。浙江大学茶学部教授の屠幼英氏は茶葉の科学研究の角度から、紅茶を例にとり、お茶を飲むことは人類の健康、毒や害を取り除くという面で良いことがあるとし、茶と健康についての声を上げました。

中国国際茶文化研究会副会長である霊隠寺の光泉大和尚は、径山寺と径山茶宴、霊隠寺と日本の東福寺の禅茶交流を紹介しながら、禅茶文化について感じることをつまびらかに述べました。浙江工商大学教授で東アジア文化研究院の副院長である陳小法氏は経典を引用して、中日韓禅茶文化の発展を結びつけ、”正、清、和、雅”という中国の禅茶精神について述べ、三国の禅茶文化交流学習について提案を行いました。径山寺の法涌法師は、径山寺の歴史を振り返り、径山茶宴の礼儀文化を解説するとともに法欽禅師などの得道した高僧たちが径山の開山建寺の時に有していた”篳路襤縷、以啓山林”の気風を紹介しました。

最後に中国国際茶文化研究会の会長である周国富氏がまとめの発言をしました。「禅茶文化は仏教が中国化していく過程で生まれた禅宗およびその僧侶の法事活動と茶と茶事活動が有機的に融合したあとに生まれた一種の独特な文化形態で、中国の伝統文化システムの中でも独特で鮮明な個性と至高至美の境地にいたり、その人文価値と核心思想は”禅茶一味”というものに集中して体現されている」と述べました。

”径山茶宴”が国家級”無形文化遺産”リストへの登録に成功したことは、文化創意理念と方法を創新していくことで、伝承と発展を実現する1つの典型的な事例になる、と述べました。新しい時代の禅茶文化の伝承と発展について、周国富氏は、開放と共存性を堅持し、革新的な思惟を運用し、文旅の融合傾向に順応し、国際交流に向かい、高い位置に立って、禅茶文化研究の学術の品格を絶えず高め、禅茶文化の伝承発展を推進することを提唱しました。

 

日本の茶道への大きな影響を与えたということと、近年注目されている抹茶がそもそも中国側であったことをPRするなど、色々な思惑が入り混じっているような気がしますが、東アジア地域のお茶の交流の1つの接点として、径山の重要性はますます高まっていきそうです。

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