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洞庭山碧螺春の歴史と現状

蘇州の名茶である洞庭山碧螺春。
その歴史と現状についてまとまっている記事がありましたので、ご紹介します。

苏州打响洞庭山碧螺春”金字招牌”促茶产业发展

苏州洞庭山碧螺春,是苏州人的骄傲,在长期的生产实践中,以其独特的自然品质,享誉海内外。1998年三月洞庭山碧螺春获准注册地理标志证明商标以来,吴中区充分发挥资源优势,采取积极有效的对策和措施,有力地促进了洞庭山碧螺春茶产业的健康、持续发展。

本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/2014/0911/article_173820.html

蘇州洞庭山碧螺春は蘇州人の誇りで、長い間生産を実践する中で、その独特な自然の品質から、国内外で高い評価を得てきました。1998年3月に洞庭山碧螺春は地理標志証明商標に登録されてから、呉中区はそのメリットを大いに活かし、積極的に有効な対策と措置を執ることによって、洞庭山碧螺春の茶産業の健全で、持続的な発展に力を入れています。

洞庭東、西山に茶が植えられ、お茶が作られ始めたのは、両晋南北朝時代で、既に千年の歴史があります。唐代の陸羽が著した「茶経」にも”長洲県(現在の蘇州市)洞庭山”産の茶葉という記述もあります。
宋代にはこのお茶は”小青茶”と呼ばれ、献上茶とされていました。朱長文の「呉郡図経続記」(1084年)の記載によれば、「洞庭出美茶、旧入為貢・・・(洞庭山では良いお茶が出来、かつては献上されていた)」とあり、清朝の初期には、洞庭茶は俗に”煞人香(香りで人を驚かせる)”と呼ばれていました。清の康煕38年(西暦1699年)、清の康煕皇帝が南巡の際に太湖にやってきたとき、碧(みどり)色をした螺(巻き貝)に似た形のお茶に会い、これは早春に摘むことから、直々に茶名を”碧螺春”と授けられました。

洞庭山碧螺春の茶摘みは早く、新芽が柔らかいうちに摘まれ、500gの特級茶には7万個あまりの新芽があると言われ、これは全国の名茶の中でも最も多いものです。完全な手作りで作られており、”手を茶から離さず、茶は鍋から離れず、揉みながら炒り、炒りながら揉む、連続した動作で、最初の釜炒りができる”という独特の加工技術は、既に国家無形文化遺産リストに登録されています。
碧螺春の碧色は人の目を楽しませ、味わいも甘く厚みがあって、柔らかい芽の茶葉が徐々に茶杯に沈んでいく瞬間には、”白雲が逆巻いて、雪の花が舞い踊るように”なります。碧螺春の茶葉が開くさまは、天の上に”緑色の雲が浮かんでいる”ようであり、碧玉色の茶湯と翠緑の新芽がお互いに引き立て合って、”春が海底を染める”ようでもあり、”緑が水晶の宮殿を満たす”ようでもあり、清らかな香りが人を襲います。少し啜って洞庭山碧螺春の花果香の香りをゆっくりと味わうと、心は晴れ晴れとした気持ちになり、さながら洞庭東西山の茶園と果物畑の中に身を置いているようであり、”山に入るとどこにでも緑があって、碧螺春の香りでずっと酔っている”という境地になります。100年前、洞庭山碧螺春は1915年のパナマ万国博覧会で金賞を受賞し、南洋勧業会優等賞などの栄誉を得ました。1972年、周恩来総理とキッシンジャーの上海コミュニケという歴史的な意義があるときに、国礼茶として贈られたのは碧螺春茶でした。2014年の中国茶葉地域公共ブランド価値の評価の中で、洞庭山碧螺春のブランド価値は、34.23億人民元でした。

”洞庭山碧螺春”にはこのような立派な看板があり、呉中区の茶業の規模は急速に拡大しており、碧螺春茶の産出額もうなぎ登りに上昇しています。現在、呉中区の洞庭東、西山には30800畝の茶園があり、総生産量は315トンで、総産出金額は2.38億元です。販売先は国内の各大都市の他に、香港、マカオ地区、そしてアメリカやドイツなど十数カ国の国と地域に及んでいます。
区内全域の茶葉企業は”龍頭企業、組合+地理標志商標+農家”という産業化経営モデルに当てはめて、碧螺春の茶葉の集約化生産、企業化管理、ブランド化販売、市場化運営、農民の組織化程度の向上などを行うことで、茶農家の増収と豊かさを目指しています。統計によれば、2014年、茶農家の茶葉による平均純利益は10300に達し、従業人口は3.万人に達し、地元だけでなく、他の地域の余剰労働力の解決に役立っています。
このほか、呉中区の太湖沿線では碧螺春茶を味わうことをテーマにした、いくつもの機能を集めた一体的な総合レジャー旅行園の建設が始まっています。毎年春には、旅行客が次々とやって来て、太湖の周りは人々が次々と天然の酸素バーにピクニックにやって来ます。統計によれば、2013年、呉中区にやってきた旅行客はのべ1526万人におよび、旅行による総収入は125億元を実現しています。

 

長い歴史のあるお茶ですが、産業化をどんどん進めているという状況が見て取れます。
茶農家が細々と作るではなく、企業が管理をして、集約化を図り、お茶を産業として発展させていく。それによって、農家を富ませる・・・というのが中国の茶産地のどこでも見られる国策です。

 

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