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モンゴルの首都ではお茶は青磚茶から紅茶に

万里茶道の世界遺産申請への準備などから、中国・モンゴル・ロシアの関係に再びスポットが当てられています。
湖北省の地元紙がモンゴルを訪問した際、モンゴルの喫茶習慣が随分変わっていることに気づいたようです。

蒙古首都红茶正在取代青砖茶成为新消费习惯

在草原地区,“宁可一日无食,不可一日无茶”的俗语曾广为流传,这里的“茶”,原本多指产自羊楼洞、汉口等地的青砖茶。5日,本报“重走中俄万里茶道”采访团在蒙古国首都乌兰巴托发现,红茶正在取代青砖茶,成为蒙古族新的消费习惯。

本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/2014/0912/article_173826.html

草原地帯では”一日食べずとも、お茶は一日として欠くべからず”ということわざが広く伝えられています。ここでいう”茶”は、元々は羊楼洞、漢口などで作られる青磚茶のことを指していました。5日、我が社の”中国・ロシア万里茶道を行く”訪問団が、モンゴルの首都・ウランバートルで見つけたのは、紅茶が青磚茶に取って代わっており、モンゴル族の新しい消費習慣になっていたということでした。

青磚茶は黒茶の一種で、羊楼洞の川字茶、漢口の火車頭牌の磚茶が最も歴史があり著名です。北方の草原や辺境の遊牧民族、ロシア地域でも名前が通っています。これらの地域の住民は肉や乳製品を多く採りますが、野菜が少ないので、茶葉は生活の必需品となっており、消化を助け、分解を促します。「唐史」には、”乳酪を嗜むとき、茶が無ければ病を得る”との記述もあります。

私たちはモンゴル国内に入り、国境の街・ザミンウードからサインシャンドを経て、ウランバートルに至りました。毎日の食事には多くのミルクティーが出ました。このお茶はミルクとお茶を混ぜた後に、食塩を加えたもので、まさにモンゴル人の伝統的な飲み方です。また多くのレストランでは、砂糖を加えたレモンティーがこれに代わって出されました。ホテルでは、主にイギリス或いはスリランカの紅茶や花茶が主に提供されていました。

私たちが更に気づいたのは、これらのミルクティーはどれも中国の青磚茶から作られたものではなく、主にロシアから輸入された紅磚茶やイギリスから輸入された紅茶が用いられていました。中国の青磚茶は製造コストが低く、葉も大ぶりで煮ることができたので、以前のモンゴル人の経済条件には適していました。しかし現在は、ウランバートルのようなモンゴルの都市では、生活水準が高まっているので、青磚茶は徐々に市場を失っていました。

同じような状況が、”中国・ロシア万里茶道を行く”訪問団が訪れた内モンゴルのフフホトでも見られました。8月30日、私たちが大召九久街に行ってみると、草原を200年近く席巻していた川字茶は、もはや市場の主流では無くなっていました。

大召九久街は2009年に建設された、内モンゴル最大の茶葉の卸売市場で、70軒あまりの店があります。私たちが取材に行ってみると、ここには福建省、浙江省、安徽省、四川省、雲南省などの地域のさまざまな種類のお茶が集まり、プーアル茶、烏龍茶、紅茶、緑茶、中には白茶なども販売されていて、お店のオーナーの多くは福建籍の人々でした。

紫玉金砂壺芸館のオーナー・陳正龍氏によれば、フフホトの青磚茶の販売量は年を追うごとに低下しているそうです。地元の人は紅茶、緑茶をよく飲み、既に内地とはあまり差がありません。ミルクティーを出す店も既にプーアル茶、烏龍茶、中には緑茶を用いてミルクティーを出すところもあり、味は青磚茶よりもより滑らかでスムーズです。

モンゴル地域の茶葉研究の専門家であり、作家の鄧九剛氏は、交通がどんどん便利になることで、お茶を運ぶコストが下がり、さらに地元の経済発展によって収入が増えたことなどが、草原地域の喫茶習慣が変わった原因だと考えています。しかし、田舎や遊牧地域においては、青磚茶の飲用はまだ主流だとのことです。

 

経済発展で生活水準が上がったことから、品質の良いお茶を入手できるようになり、モンゴルの人々=青磚茶の方程式は崩れてきているようですね。

 

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