平陽黄湯という、清代の浙江省の名茶(黄茶)があります。
例によって解放後には断絶していたお茶なのですが、このたび原産地保護制度の対象になることが決まり、名実ともに復刻を果たしています。
その復刻までの道のりを紹介した記事がありました。
平阳黄汤的艰难重生 名茶终于再面世
日前,国家农业部公布了2014年第一批农产品地理标志名录,其中平阳茶业协会选送的“平阳黄汤茶”名列其中。自此,“平阳黄汤”和“西湖龙井”一样,其原产地标志受到国家法律保护。
本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/2014/0527/article_170519.html
先日、国家農業部は2014年の第1回農産品地理標志リストを発表し、その中には平陽茶業協会が推薦した”平陽黄湯茶”の名前が掲載されていました。これによって、”平陽黄湯”は”西湖龍井”と同じように、原産地標志が国の法律によって保護されることになります。
平陽黄湯茶はかつて、”乾茶が明らかに黄色く、水色は杏黄色で、茶殻は萌えた黄色”という”三黄”の特徴によって茶業界に存在感を示していました。清朝では、献上品とされており、浙江省産のお茶の大切な代表でした。
1930年代には、毎年千担(訳注:1担は50kg)あまりの黄湯が平陽などの土地から上海や北京などの大都市に売られていったそうです。
解放後、平陽黄湯は様々な理由から生産がストップし、さらに文字での記載が乏しかったことから、その製造技術は徐々に失われてしまいました。この後、数十年間、平陽黄湯は販売されている声を聞けませんでした。
平陽黄湯はどうして再び世に現れたのでしょうか?これについては、お茶を植えた鐘維標さんの話を聞かなければなりません。
黄茶の最も重要な特徴は”三黄”:葉の色が黄色い、水色が黄色い、茶殻が黄色い
<名茶はやすやすと消えません>
「平陽黄湯は小さい頃に聞いたことはありましたが、飲んだことはありませんでした」鐘維標さんは、平陽県水頭鎮朝陽山の人です。朝陽山は高くて険しく、霧が多いので、元々良いお茶を産していました。
1992年、元々は教師だった鐘維標さんは教鞭を下ろし、地元・平陽の特色ある茶品種”平陽特早茶”を携えて朝陽山に戻り、泥と汗にまみれながら、仲間たちと”平陽早香茶”と”平陽工夫紅茶”のブランドを市場に送り出しました。
「私はお茶市場を駆け回る時間が多かったので、平陽黄湯がそんなにも有名であることをようやく知ったのです!」と鐘維標さんは言います。そのときのことは良く覚えています。
茶人たちが集まってお茶のことを話していると、特に北の方から来た茶商は、彼が平陽の人だと知るといつも平陽黄湯の話をするのを忘れません。東アジア諸国と中国人は同様にお茶を飲むことが好きで、日本や韓国の茶業界は黄茶に対して特に関心があります。
ある業界の人は、半分冗談めかして半分は本気で、彼の作る他のお茶はさほど珍しいものではなくて、もし平陽黄湯が手に入るのならば、何としても出資して上場会社にします、と話していました。
鐘維標さんにとって、平陽黄湯は、朝陽山に立ちこめている雲霧の中の1つの伝説のようなもので、聞いたことはあるけれども、見たことの無いもので、彼を何とも言えず残念な気持ちにさせました。彼は、いわゆる名茶というものは良いところがあるけれども必ず難しいところがあって、他人が簡単に真似ることは出来ないものであると分かっていました。
平陽黄湯の名は大変轟いていたのに、市場ではこう何年も空白のままであるというのはおそらく、普通では無い難しさがあるように見えました。
「まずはやってみよう。ひょっとしたら、案外上手く行くかもしれない」何度も考えたあげく、鐘さんは、この”器を活かす”ことに決めました。
彼は地元の製茶の古い先輩を探して平陽黄湯の製法を尋ねて回り、「中国茶経」の平陽黄湯の章を何度も何度も読み返しました。しかし、かつて平陽人が作っていた黄湯はほとんど師弟間での口伝と手伝えによるもので、残っている記述は極めて限られており、鐘さんが分かったのは、平陽黄湯を”復活”させるには、ただ自分の手で推察していくことしかないということでした。
春と秋が移り変わり、春茶で試したら秋茶でまた試し、若い新芽で小さな葉のお茶を作ったら、今度は成熟した葉で大きな葉のお茶を作って試しました。結果は例外なく、彼を気落ちさせることはありませんでした。
「お茶が分かる人は皆知っているように、製茶の中でのほんのちょっとした違いが、お茶の味を様々に変えてしまいます。これはただ心で分かるもので、言葉にはできない感覚なのですが・・・何度も何度も数百回もやっていますが、私が分かるのは、これは伝説の中の平陽黄湯では無い、ということです」
鐘さんの信念はかえって固いものになりました。見れば見るほど困難で、平陽黄湯は簡単には思えません。彼は常にアンテナを張り巡らし、平陽黄湯の昔の作り方の”手がかり”を広く探しました。
<茶バカ、遂に秘法にたどり着く>
あるとき、福鼎のある茶室で数人の老茶人たちが雑談していました。鐘さんが教えを請うと、ある茶人が彼にこのように言いました。「私が、私の先生に以前言われたのは、平陽黄湯は九悶九烘だということです。あなたのやっている一悶一烘ではそのような味は出ないのではないか。試しに九悶九烘をしてみたらどうか」。
一つの話が鐘さんには至宝を得たかのように思われました。鐘さんは”九悶九烘”の伝統技法を繰り返し行って、研究し始めると、その茶の味と書物の中に描写されている平陽黄湯の味が段々近づいてきました。”九悶九烘”の工程は大変煩雑で、一度始めると少なくとも7,8日は必要です。
鐘さんは、ずっと作業場の中にいるようにし、1回悶黄するたびに、味わっていました。
人が彼を訪ねてくると、彼は常にテーブルのそばにいて、テーブルの上には様々な段階の悶黄をした平陽黄湯がズラリと並んでいました。「さあ、味を見てよ」と鐘さんは人が来ると、誰にでも呼びかけるので、町の人は”茶バカ”と笑っていました。
自ら助くるものは、必ず人の助けがあるものです。あるとき、鐘さんが福建で考えていると、ある老茶農が祖先伝来の黄茶の香りの出し方を彼に教えてくれました。
2011年、温州科学技術職業学院は茶学が専門の数人の先生と学生を平陽黄湯の復刻作業に参加させ、彼が黄湯の有効成分の鑑定と研究を行うのを助けました。鐘さんは黄湯の研究に科学的データの裏付けも得ることが出来たのです。
2012年の冬、新しく開発した茶葉が出来上がりました。鐘さんがその香りを聞いてみると、お茶の中から黄湯の特色である甘いトウモロコシの香りが出ていて、笑いました。
2013年4月、第3回中国国際茶業と茶芸博覧会が開幕しました。鐘さんは選りすぐりの平陽黄湯茶を送り、金賞を獲得しました。失われていた平陽黄湯が復刻したとの知らせは、すぐに業界内に広がりました。
同月、中国国際茶文化研究会会長の周国富氏は北京から”茶の香りを聞く”ために2013浙江省平陽黄湯敬老茶会の現場に駆けつけました。
お茶の芽が茶匙に沿って蓋碗に入っていくと、白い磁器を下敷きにして、茶の色は緑の中に黄色帯びている様子がますますハッキリし、黄色の中に錬金があるように見えました。お茶が目覚めると、若いトウモロコシのような甘い香りが漂います。口に入れると、緑茶の旨みと甘みの利点を穏やかに持ちながら、戻りの味はよりスムーズで厚みがあり、清らかな香りの中に花の蜜のような甘い香りがあります。茶の味が薄くなってからも、茶殻は均等な美しい浅黄色でした。
数百人に茶業界の同僚を前にして、周国富氏は親指を立てました。「これはまさにその名に恥じない平陽黄湯です。あなた方は古い祖先が残してくれた財宝を再び発掘することができました。これは茶業界の功労者です!」
<お茶の香りは、どうやって遠くまで香るか>
平陽黄湯は茶業界を征服しましたが、平陽黄湯はそうは言っても黄茶なので、一般の人々の間では依然として知名度が高くありません。取材中、茶文化研究界の権威である姚国坤教授は、”平陽黄湯”は”壁の内側で開花して外まで香る”と言います。北京や天津のあたりでは、茶業界の人々の間では非常に有名ですが、一般の認知度は依然として低いのです。
平陽黄湯の知名度はまだ広まっていませんが、鐘さんは心を落ち着けて”足場固め”を行い、”精”の字の上で文章を作っています。ここ2年は、鐘さんの会社では毎年、5,6百斤の平陽黄湯しか作らず、全て清明節前の上質な茶芽からのみ作っています。一度お茶が出荷されると、多くの業界人たちが買いにやってくるので、常に供給が追いつかず、1斤あたり5,6千元の高値になっています。
あるとき、鐘さんは作業員が摘んできた茶芽の中に、ほんの僅かに二枚の葉っぱが付いているものがありました。「こういうのはダメです。平陽黄湯はまだブランドづくりの段階なので、少しでも間違いを出すことはできません」といい、彼は作業員に捨てさせるように言いましたが、妻子が泣いて目を赤くして説得しました。量も少なかったことと自分の農場で最高の茶葉だったのです。結果、鐘さんは村から20人あまりの人を呼んできて、夜通し茶葉を一枚一枚選別する処理を行いました。
国際的には一部のお茶の専門家が黄茶に対して研究をしているとはいえ、現在のところ、国内で平陽黄湯の研究は依然空白のままです。
「1つのお茶を広めていくためには、メディアでの宣伝の他に、専門家の研究参加も極めて重要です。現在、平陽黄湯は技術面ではクリアをしましたが、最も欠けているのはより深い研究を進めることです」と平陽県農業局特産品所所長の謝前途氏は言います。
謝氏によると、平陽黄湯がすぐに取り組まなければならない専門の研究は文化と科学の2つの方面です。1つは平陽黄湯の歴史文化をより深掘りすることで、人々に清朝の献上茶だったことなど歴史と文化に関する魅力を伝えることです。同時に平陽黄湯の栄養価値、成分と保健機能についてもお茶の専門家の深い研究を待たねばなりません。しかし、現在、黄茶は小さなお茶の種類なので、平陽黄湯に対する国内の専門家や黄茶の研究は依然少ないのです。
「今回、平陽が”平陽黄湯”の国家生態原産地保護証書を得たことは、おそらく悪くないスタートだと思います」と鐘さんは言います。黄湯の原産地は法律の保護が受けられるのです。”西湖龍井”、”雲南普洱”と同じように、”平陽黄湯”も地域との結びついた風に乗って、広い中国茶市場の中の1席を占めることができれば、平陽の茶産業の飛躍と発展をもたらすのではないでしょうか。
非常に長い文章でしたが、お茶の復刻のストーリーとして面白かったので、全文掲載しました。
一度製法などが失われてしまったお茶を再び作るというのは、本当にエネルギーの要ることであるのが分かります。