武夷岩茶の大紅袍の伝統技術で製造を行うことのできる人を認定する、「大紅袍制作技艺传承人」という制度があります。
2006年に武夷岩茶が国の無形文化遺産になった際に第1回の認定が行われ、最初の伝承人が選ばれました。彼らはいわば”人間国宝”のような位置づけです。
そのうち、唯一の女性として選ばれた方の記事がありましたので、ご紹介します。
大红袍制作技艺女传承人:茶人的生命就是茶
利落的短发,爽朗的笑声,谈起茶来就兴奋得停不住,这是中国首批国家级非物质文化遗产“武夷岩茶(大红袍)”的唯一女传承人游玉琼给人的第一印象。
本篇文章来源于第一茶叶网 原文链接:http://news.t0001.com/2014/0512/article_170020.html
きちんとした短髪で、爽やかな笑い声。お茶のことを話し出すと興奮して止まらなくなる。これは中国で初めての国家級無形文化遺産”武夷岩茶(大紅袍)”における唯一の女性伝承人・游玉琼さんが人に与える第一印象です。
「茶人の命はお茶で、一日ご飯を食べなくても問題はありませんが、一日お茶に触れないのは、私は我慢できません」と游玉琼さんは、目の前の茶杯のお茶を味わいながら、そのように話しました。
彼女の後ろにある製茶場は電気が付けっぱなしで、機械がドカンドカンと動いていて、数人の作業員が毎晩加工を行っていて、湿った空気の中に人の心に染みる茶の香りが混じっています。
游玉琼さんの生まれは武夷山のふもとにあり”岩茶第一鎮”の誉れも高い星村鎮です。「私たちの游家は、北宋の理学者・游酢の後裔で、家族は先祖代々、製茶を仕事にしてきました。小さいときから私も茶がうずたかく積まれた中で遊んで大きくなりました」
「岩茶で代々有名な家の技術伝承者が女性というのは、私にとっても”慣例を破る”ことでした。これは単に伝統的な観念の影響だけで無く、製茶という作業自体が大変重労働で、女の子には一人で責任を持つのが難しいのです」と游玉琼さんは言います。
「毎年、四月・五月の春茶の季節になると、茶師たちはずっと工場にいて、毎日よく眠ったとしても2~3時間程度です。1つ1つの工程は全て自分が出陣しなければならなくて、これは最高の品質のお茶を作るためです。かつては製茶の機械化の度合いは低くて、ほとんどが手作業で自ら行わなければならなかったので、疲れが溜まってくるといつ眠ったのかも分からないぐらいでした」
20数年の技術の研鑽によって、游玉琼さんの製茶技術は最高水準に達しました。「当時武夷山には私のような茶師に学ぶ女性が40人あまりいました。しかし、今も第一線でいるのは、私一人だけになりました。姉や妹たちは私のことを時々”茶馬鹿”とからかい、一生をこの1つの葉っぱに捧げてきました」と游玉琼さんは、幾分か誇らしげな表情で話します。
游家の岩茶の”指導者のトップ”となったあと、游玉琼さんは続けざまにいくつかの胆識のある革新を成し遂げました。
1995年、彼女の工場ではコンピュータ制御の製茶機械を使用し始め、武夷山の岩茶の工場の中で最初に全自動茶葉生成加工生産ラインを導入したのです。
3年後、彼女は”金佛岩茶研究所”を立ち上げ、専門家を招聘して技術指導に当たらせ、毎年多額の経費を新品種の研究と開発に投入しました。
彼女は今では、5000畝の茶山を有し、400名あまりの工員を抱える武夷山永生岩茶廠の総経理です。
2006年、”武夷岩茶(大紅袍)の製造技術”が初の国家無形文化遺産に選ばれると、游玉琼さんと13名の男性の茶師たちは、”無形”伝承人とされました。
「伝承人となった後は、より多くの人が名前をしたって技術を学びに来るようになり、現在工場の中には既に42名の高級技師がいるのです」と彼女は言います。
游玉琼さんによれば、製茶の全ての過程で”完璧”に達していることはないと感じており、このためにそれぞれの茶の品質に影響を与えています。
「これは私からしてみると、絶対に許すことのできないことです。私は今年もう47歳になりますが、3年後には”一線を退きたい”と思っています。このようなお茶に対して執着する精神を、これからの人たちに伝えていきたいのです」と話しています。
まさにザ・プロフェッショナルという仕事ぶりの方のようです。
製茶は本当に重労働であり、特に伝統の重みのある武夷岩茶を背負うのは並大抵のことでは無いので、その凄みが言葉の端々から伝わってきます。