お茶の産地については雄弁に語られることが多いのですが、しかし具体的な話になるとぼかした書き方になり、それによって分かりにくいと感じられることもあります。
普洱茶などは、まさにその典型で、製品が疑わしく感じられるものもあります。
このような不都合はなぜ起きるのかについて、茶商間の競争と茶商と茶農家の関係性などから考察した記事がありましたので、紹介します。
かつて友人からのこのような不平を言われたことがあります。「一つ一つの茶山は明白で、一つ一つの荒茶も明確なのに、どうして製品になると分かりづらく、不確実になってしまうんだい?」
この言葉の背後には、現在の普洱茶市場が抱える問題のある一面が屈折して投影されています。現在、大部分の業者は2つの問題を抱えています。原料産地についてはあまりにも詳しく書くと、製品はそこまで売れず、その代わり他の茶商が行った産地の話を横取りしてしまうのです。それならばとあまりに大ざっぱに書くと、悪徳業者に隙を突かれてしまいます。今、お茶の難しいところはこの部分であり、多くの茶商はこの板挟みに遭っています。
今、話した茶の問題はいずれも茶商の問題ですが、しかし究極的な根源は茶農家の問題を追究する必要があります。身も蓋も無い言い方をすれば、お金の問題です。もし茶農家が茶商と妥当なところで協力関係にあって、固定価格で長期に渡って、一つかいくつかの茶商に固定して出荷していれば、茶商たちの大部分は製品の説明において、具体的な産地の説明をより明快に書くことが出来るでしょう。他の悪徳業者は成りすましをしたくても、動かぬ証拠の契約があるならば、自ずと居場所は無くなってしまいます。
契約を結ぶというこんな簡単なことは、既に多くの茶商が思いついていることですが、問題は契約を履行していくところで出てきます。茶商は懸命に努力して茶山の人気を高めて、ようやく利益を得られそうな段階になると、茶農家は契約を破棄し始めます。契約を履行することは馬鹿だと見られてしまい、契約を破棄してお金を儲ける者が勝者だと見做されてしまうのです。契約が紙切れになってしまったら、損失を被ってしまった茶商は茶農家と長期的な契約を結ぼうなどとは思わなくなります。みな具体的な産地については曖昧にし、他人に塩を送るようなことはしたくないのです。時間が長く経ち、隙に乗じる人々がどんどん多くなって来ていて、遂に今日のような局面に達してしまったというわけです。
茶山は茶農家と茶商の間のくびきであり、もし一時の利益のためにこの種のくびきを断ち切ったとしましょう。これによって最も被害を受ける人は、茶農家であって、その原因というのは少し考えれば分かることです。害を与える馬が多くなれば、市場は必然的に瓦解します。市場が一旦、瓦解すれば多くの茶商たちは生計を立てる場を失います。その時には茶を売ってお金を稼ぐだけでなく、長期的に茶園を貸し出すことも出来なくなってしまいます。市場が繁栄するかそうでないかは、茶農家次第なのです。
協力すれば互いに利があり、反目すればお互いに害があります。長期的な利益を捨て去ることは一時の心地良さがあるかもしれませんが、取るべきではありません。茶商の問題の根源は茶山にあり、茶農家だけがこの問題を解決できるのです。
ちょっとかなりクセのある文章を書く方のようですが、要約&意訳すれば、
・産地の情報などを細かく書くと、消費者への情報提供というよりも、他の業者に内容を盗まれることの方が多くなる。
・仕入れ先の農家などを明かしてしまうと、別の業者がその農家にアプローチして、同じような商品を売り始める(開拓の苦労が報われない)。
というのが、茶業者間での問題。
こうしたことを防ぐ上では、茶農家と茶商が長期間に渡る安定供給契約を結べば良いと思うのですが、
・茶商が苦労してマーケティングを行い、知名度が上がってくると、茶農家に契約を破棄される。
・茶農家にしてみれば、より好条件を提示する茶商に販売した方が儲かるからで、その方が正しいとされがちである。
・このような風潮がなくならない限り、今の混沌とした市場の問題は解消されない。
という趣旨で書かれています。
こうした話は普洱茶に限らず、台湾茶など他のお茶でも良く聞く話です。
業者と茶農家のモラルに期待するべきなのでしょうが、こうした問題がお茶を少し厄介で分かりづらいものにしているのは否定できません。